平成24年8月残暑雑感。

 今年 都内の百貨店で開催されていた「五浦(いずら)と岡倉天心の遺産展」を観賞する機会があった。東日本大震災で流失した五浦六角堂が茨城大学などの努力で今年4月再建された記念の絵画展であった。 
横山大観、下村観山、菱田春草、など日本近代絵画史上に残る絵だ。
柔らかく、繊細で、暖かくもあり、厳しく、深く、「弧にして凛」としいつまでも見飽きない、「本物」と実感した。

この中に気になる「朦朧体」といわれる絵が特別のコーナーに一枚あった。疑問を感じていた。

 明治22年(1889年)東京藝術大学の前身、東京美術学校設立時に「校長事務取扱」、翌年27歳で校長になった岡倉天心。その後校長排斥問題で明治31年(1098年)辞職。「官に対抗する民による新しい美術集団」として「日本美術院」を35歳で創設した。不当な懲戒処分を受けた天心に従い、ついていった17名の中に上記の芸術家がいた。
「平家の都落ち」と評されながらも天心の隠棲の地となった五浦六角堂。明治の初め九鬼隆一、フェノロサの協力で行った法隆寺夢殿の調査の感動が六角堂という形となったという。

 天心の「空気を描く工夫はないかね」それを描いたのが「朦朧体」の絵といわれる。朝靄の中の甘美な夢の中の光景を思わせる幻想的絵画であった。当初は受け入れられなかったという。
 この朦朧体の絵を先んじて取組んだ画家が先の17人の中にいた「西郷弧月」という。しかしどういうわけか大観,観山作とされているという。「弧月」が 美術学校時代の恩師で日本美術院の実力者橋本雅邦の娘と結婚 離婚し、日本美術院という団体から離れた後の人生について、立派な業績を上げ、中心の中の中心と言われながらその後の人生ははっきりしないと言う。集団から離れたことで消されたのか。


「集団、団体からはなれて落伍していくか、伸びていくか?」
「大組織を離れ落伍していくか、成功していくか?」

 3年前に国民から大きく期待された「民主党政権」。崩壊の兆しである。1人、2人と自らの政党に三行半を付け、離党していく議員の姿。
覚悟し離党して行く本人の無念さ、これから一人の政治家として身一つで戦うしかないだろう。人に省みられることなく己と向き合い、自らの理想に向かって一本の杭を垂直に打ち込まねばならないだろう。

 日本社会には集団に基盤を持った者が脚光を受け、離脱したものは、落伍者、変人奇人と扱われる偏狭な人間観がある。もっとも大企業を辞めたベンチャー経営者の成功で次第に変りつつあるが、今の激変の時代昨日まで先頭を走っていた政党が次の選挙で大きく逆転のされる時代である。「真贋」の試される時代である。この夏、離脱する若い民主党議員を見て、100年後の後世の日本人より「本物」の政治家であったと言われるよう「芯」を持ち続け、つぶれていかない様 人生への熱い挑戦を望んでいる。(了)

ミネルヴァ書房「何処へ行くのか、この国は」村田良平著・2010・4刊

 梅雨の終盤となると、記録的大雨がここ何年か続いている。今年は北部九州、熊本、佐賀、大分、福岡が大被害を受けた。関東は先週梅雨明けとなった。
 暑い夏に入る。7月末から8月の終戦記念日にかけ新聞は太平洋戦争、歴史の反省の論調に紙面を割く。しかし今年はわからない。原発再稼動の是非問題、東日本大震災の復興停滞,尖閣諸島の領土問題、いずれもそれ以上の「あつい」問題が我々の眼前にある。

 今日の日本の社会の姿、総理までやった政治家の軽い言動・発言を視ると「一本筋の通った」と言われる人の著した本を読みたくなる。『村田良平回想録』が2008年出版された。出版後の2010年6月日米間の核持込に関する「核密約」(沖縄の財政密約などの密約の1つ)についてそれまで代々否定してきた引継書の存在を明らかにしその後の一連の密約解明の端緒となった元外務官僚である。「よくぞ。」と意気に感じたものである。又、小泉内閣川口大臣に対し外務省改革との関連で官庁は企業ではなく国民にこび,おもねる「ポピュリスト的手法」を忠告したという人物である。在職中は条約局外務参事官、中近東アフリカ局長、経済局長、事務次官、米国大使、統合後のドイツ大使を歴任した。
 本書は前記『回想録』のダイジェストで後進、特に若い人への遺言として亡くなる直前80歳で書き上げた著書である。残念ながら2011年3月御逝去された。(沖縄問題のテーマは、このブログ2009・11・10の山崎豊子「運命の人」に書いてあります。お読みください。)

 読了して思う。巷 マスコミの公務員たたき,官僚バッシングで公務員には向かい風の激しい中、外務官僚としてこのような骨太の官僚が日本の外交に携わっていたのかと己の勉強の至らなさ、浅学を恥じた。
 「米国と仲良くしてさえいれば良い」、と発言し報道された単純思考の元総理がいたが、そのアメリカに元外務官僚、元アメリカ大使は一貫して「冷厳」だ。

 「クラウゼヴィッツ」を本書で引用する。
「敵の軍隊を壊滅しても国が残れば軍隊は再建できる。敵の国を壊滅しても、国民が残れば国は再建できる。しかし、国民の意思、魂を壊滅させれば完全に敵国を壊滅できる。」と。

 著者は「小中学校教育は,シナ事変と大東亜戦争中に受けたが極度の軍国教育を受けたのは既に大東亜戦争開始後の中学での約2年間で、その後軍用機部品製造工場で働き終戦を迎え、敗戦の翌年、17歳で旧制第三高等学校に入学、更に京都大学に進んだ。」と72歳の時の自書『甦れ日本外交・なぜ外務省はダメになったか』で述べている。
 この年頃より米国の占領政策及び米国人の独善主義に強い疑問をもったという。その後外務省に入り、良く米国を知り、日米関係の重要性を認識した後も、終生米国に対するわだかまりを80歳まで持ち続けていた、と本書で語る。
 
 筆者は常々日本の今日を考える時、6年8ケ月の占領時代の米国の政策がどうだったのか、を考える。占領前の日本の良い慣習など相当捨て去られたのではと考えている。その点について本書は「第2章 米国における日本占領の真相」で述べている。全部は本書の熟読に譲るが、教育基本法の導入を初めとして国民の教育に関わる分野で大規模な洗脳が行われたという。ドイツが教育体制の改革を拒否したのに対し、日本は6・3・3・制と教育委員会を骨子とする教育改革を唯々諾々と受け入れた。 この背景を、著者はポツダム宣言の底流に流れた、アジア人に対する偏見、占領軍は「日本人の実質的奴隷化」を一度は考えたのではと、当時の前後の資料を分析し語っている。 日本の美点 伝統の尊重が無視され、歴史を形成した偉人の業績を教えず、あるいは意図的に削除し、明治以後の歴史について、それまでの日本自身、世界史的に持つ意義を教えず、児童生徒が知らないままに育つ結果となった。実際 筆者の小・中学生時代はあまり記憶にない。これら文部省の無見識、教育委員会の有名無実化と相俟って特に昭和30年代から50年代にかけ 日本の教育に深刻な影響を与えた。あわせ偏向マスコミの影響が大きいと語る。教育委員会については昨今の滋賀県大津市教育委員会の現状、一昨年の北海道滝川市教育委員会の現状。いつまでたっても事なかれは治らない。

 更に「自主憲法制定」にも触れている。既に常識化しているので詳しく書かない。「北康利・白洲次郎 占領を背負った男」から現行憲法制定時の白洲次郎の手記を紹介している。「コノ如クコノ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル。’今ニ見テイロ’ト云ウ気持抑エ切レズ密カニ涙ス」。

 筆者(ブロガー)は2003年3月丁度ネオコンの発言の強い頃当選したばかりのブッシュ(子)大統領の発言として「1945年8月の日本同様、イラクもサダムフセインが打倒されれば、民主国家としてさして時間はかからない・・・」との報道を記憶している。「本当か?日本人とは違うのではないのか」とその認識に違和感を持った記憶がある。事実その後10年いまだ泥沼から出ていない。もう1つは2008年リーマンショック直後、アメリカからはじめた「BIS基準」について、自国が大変なので止めようということがこれもTV報道されていた。米国という国はいざとなると身勝手な国かもしれない。

 占領政策の後遺症について考えれば人間の意識や歴史観は時を経て変るであろうし国際情勢の変化によって変る。中国観はいざ知らず、若い人の米国観、更には韓流ブームを視ると韓国観も、大きく変っているのではないだろうか。日米関係について著者は日本の国益と米国の国益は離れていく分野が大きく、日米が最重要という思い込みが先立たないようにと指摘している。米国にとっては日本は相当数ある友好国の1つであり、利用している有用性が減少すれば希薄化する運命にあるとしている。先の元総理大臣の「日米関係さえ良ければ」とは雲泥の認識の差である。

 戦後60数年 米軍再編により安保体制下の在日米軍のあり方は変って来ているようだ。現在進行中の「オスプレイ配備問題」。防衛の基本設計は透視できないがアメリカで決められた後 通告されているとしか我々に写らない現行体制。忙しいビジネスマン、頭でわかっても意思表示の難しい社会。公約守らずの道義の弱くなりつつある社会、それらが次第に社会を脆弱化させて行く。
 著者は日本人の自尊心の問題として歴史に区切りをつけるため、終戦後100年の2050年目標に安保体制を終了させ、米軍完全撤退のスケジュールを「笑われるのを覚悟で」と提案している。防衛をアメリカに任せ、当事者としてとらえない考えの多い日本人への自覚と警醒の書ではなかろうか?・・・さすが戦前に生まれ、戦中、戦後を生き抜き 敗戦後の日本国外務省で鍛えられた外務官僚と敬服する。(合掌)

光文社新書「『当事者』の時代」 佐々木俊尚著・2012・3刊

 面白い本に出会った。

 1970年代に仕事と勉強と遊びに青春時代を過ごした筆者が、自らのこれまでを「自省」させ考えさせてくれた好著書であった。著者、佐々木俊尚氏。 1961年生 年齢50代初め。早稲田に6年在籍しバブルはじける兆しの出はじめた1988年毎日新聞岐阜支局スタートに社会部記者、政治部記者として仕事し、現在はフリーの記者として、メデイアとIT業界をフィールドに書き物をしている。
 著者が数年前自著で取上げ批判し、無罪を予想したあるIT裁判問題、数年後著者の予想どうり当初有罪が逆転無罪判決となった。この「elsuenyoの日記」でも一度著者の本を取上げたことがある。(2008・11・21・「ブログ論壇」)

  読み応えのあった本書は、「メデイアのマイノリテイ憑依」その背景を高度成長に入る60年代まで遡り且つ、日本人の民族的心象風景までをも考察の対象にした内容で、その時代をともにした世代としては、納得する内容の多い著書であった。
 新聞記者は「市民、市民運動」という言葉を嫌っているという。
これはなんとなく判る。ここで「市民」と「庶民」を区別し、マスメデイアが報じる「正義」というものは うるさい市民運動家などの「市民」により代弁させてきた。しかしマスメデイアは自分達の正義が「市民」にあるとは考えず、むしろ黙して語らない多数の「庶民」にあると考えていた。マジョリテイの「庶民」でなく圧倒的に少数(マイノリテイ)の「市民」の意見が優先され語られてきたメデイアの取材行動に言及し、国内に住む中国人等の外国人、在日の人たち,などに「マイノリテイの憑依」し報じてきた。著者はその源を1960年代の「ベ平連」の運動まで遡り考察している。

 著者佐々木氏の表現はこうだ。「メデイアで語られる少数者、弱者は本物の少数者や弱者でなくマイノリテイ憑依により乗っ取られた幻想の少数者、弱者である。日本のメデイアを覆ったという『マイノリテイ憑依』それは、戦後20年が経過し高度成長の始まる時期、それまであった軍部にだまされた国民の『戦争被害者』のみの意識から 小田実により始めて指摘された日本人の『被害者=加害者』だというとらえ方、又更にその後に考え出された『戦死者への鎮魂者』でもあるという二律背反の矛盾の追い詰められた状況から脱出しようとする中で生み出された突破口だったという、それを 第3者の立場で語るという風潮になった。」と述べている(本書)。

 短くまとめるとややこしい。背景説明に小田実伊丹十三の父伊丹万作、高野威(ペンネーム津村喬・高野実の息子)等の当時の考えを紹介している。この辺は さすが元ジャーナリストの問題意識、博学に感服する。さらにその風潮を進めたのが,高度経済成長時の国民の総中流社会意識が「憑依」を支えたという。
 簡単に言う、特殊あるいは部分的なものが全体というメデイアの取上げ方、奇妙・奇天烈な報道に、明日の明るい社会を信じ、中流意識を持ったサラリーマンの家庭が興味本位で向き合わされた報道。何か納得するものがある。事実、弱者に立脚した課題・報道姿勢が著者の入社時代の風潮だったという。
 本書は「マイノリテイ憑依」の背景説明に70年代、80年代以降起きた社会的大事件の その後の経緯、顛末が語られ、現役時代多忙で、失念してきたそれら事件の背景つながりが整理出来、「その後」を確認でき、少々分厚い新書であるが砂に水を注ぐが如く読める本である。特に学生運動の顛末は興味深い。

 もちろん「マイノリテイ憑依」を認めているわけではない。高度成長が終わり、経済の衰退とともに、格差社会に入ることにより、『憑依』も衰退という。メデイアの社会も安定ではなくなっている。一方でネット社会の進展である。マスメデイアの「東日本大震災報道」が心を掴まなかったことに対し、震災の地元地方紙「河北新報」の報道は「当事者」としての立場が貫かれており、それが賞讃されているという。

 著者はインターネットに詳しい文筆家である。本書冒頭 新聞記者時代の表の「記者会見」に対し裏の「夜回り」の人間関係を「夜回り共同体」と呼び、今のリアル社会の反映であるフエイスブックなどのソーシャルメデイアとの類似点が多いことをあげている。筆者には夜回りで囁かれる情報と、ネット上のフエイスブックでの情報のやり取りずいぶんとキワドイ感もするが、時代はそのように進んでいるのだろう。(了)

朝日新書「福島原発メルトダウン」広瀬隆著・2011・5刊

 現役時代の金融界よりコンサルタントという自由業に転進し いつの間にか今月末で丁度10年になる。
 先月5月コンサルとして関わった放射線機器関連会社の業務で福島に行って来た。
 東日本大震災より1年余り。復興は順調でない。津波被災された地域は、コンクリートできれいに護岸工事される一方、ガレキが山のように積み上げられているものの,片や原発事故の地域は線量のため一年たっても手付かずの状況でしかも、これから何十年も故郷に帰れぬ状況である。どう考えても後者ほど酷い事はない。 ここ関東でも福島原発4号機の再爆発、あるいは予想される大地震で茨城・東海原発事故が発生した場合は福島のケースになる、と考えている。
 どこが安全かと日本全国改めてチエックしてみると、日本全体が原発に取り囲まれていることの事実に仰天する。

 筆者の故郷にも目と鼻の先に原発あり、昨年3月の大地震には何とか持ちこたえたものの、1カ月後の4月7日の最大の余震で岩手、青森、山形、秋田の4県が全域停電になった時、外部電源3系統のうち2系統が停止、このうち1系統でかろうじて原子炉などの冷却を継続するという綱渡り的運転で助かったということを地元の報道はともかく「本書」を読み驚いた。

 全く不安な世の中である。

 福島原発事故以来、汚染源を上流とする河川汚染が宮城南部の阿武隈川、新潟に流れる阿賀野川で進んでいるとの特別番組がNHK・ETVで報道された。阿武隈川流域では地元で長年続けられた「あゆの漁」が禁止された。生態系の汚染を通じ将来の人間にどう影響を及ぼすか?福島で行われた「放射能除染技術展」では、汚染土、汚染水の廃棄物を出さない現地完結型の除染や、放射性物質除去の空気清浄器が紹介されていた。福島の若い家族から「子供が生まれる。屋内の放射能は○○ミリシーベルトですが、放射能専門の空気清浄器を使うと大丈夫ですか」という悲痛なメールが来る。団塊の世代で老い先短いから無関係といい、子供の世代の問題と片付ける訳には行かない。

 本書は「二酸化炭素温暖化説の崩壊」で温暖化説に異議を唱えたり、原発以外の電力で十分電力需要は賄えると主張し原発に一貫し反対している著者の本である。福島の真相、更には弱い地盤に建設進行の青森「六ヶ所再処理施設」の恐ろしさを詳細に書いている。
 原発関連で最近読了した鎌田慧の「原発列島をゆく」を読むと反対運動も各地で行われたが、2〜3の地域を除き推進派に押し切られた経緯が書かれている。福島も同様である。福島で反対運動した人たちはさぞかし無念だろう。その結果40年後地域全域が全滅し、先祖の墓参りにも行けない状況になった。地域によっては永久に。

 一貫して原発反対の立場をとり京都大学原子炉実験所助教で「原発のウソ」(2011・6・扶桑社)「原発はいらない」(2012・6・幻冬舎)を書いた小出裕章先生は目下講演で目一杯のようだ。又「原発の闇を暴く」(広瀬隆・明石昇二郎・2011・7・集英社)は原発を推進して来た政官産学のシンジケート構造や文化人を糾弾している。「原発国民投票」(今井一集英社)は原発賛成論者、反対論者のそれぞれの立場での意見を取上げている。

 「原発施設」は住民からは目に見えないところ、意見は「黙」の社会空気、「見て見ぬ空気」が今後も続くとしたら、福島原発事故の反省はなく、住民・国民は事実をしっかり見ていかねばならない。今度の事故で初めて国民は原子力に真剣に向き合う時代になった。首相官邸に毎週金曜日夕方再稼動反対のデモが増えている。(了)

論創社「よみがえるカリスマ平田篤胤」荒俣宏・米田勝安著2000・12刊

 1年前、「タイガーマスク現象」が社会をにぎわした。その際バングラデッシュの「BOPビジネス」・グラミンフォン創業者、イクバル・カデイーアを取上げた。世界の経済は更に下降線のようだ。3月には「東日本大震災」が発生した。『タイガーマスク現象』は数年前のように感じられる。
 1月も最後の日。正月に直系の子孫が著した標題の書を読む。
大震災後「絆」という言葉が流行っているが、日本人の精神を支えるものがどう変って来ているか、神道、仏教を改めて考えさせてくれる著書であった。
 本年もテーマが多い。女傑を含む明治初期日本を築いた人物に焦点を当てているが、それを遡る江戸時代の朝鮮通信使対馬藩の官僚「雨森芳洲」の研究を、と考えていたら、更に遡る15世紀室町時代つまり朝鮮・高麗末期時代の朝鮮最初の通信使で40回も日本を訪れたという「李藝(イ・イエ)」がテーマに登場してきた。
あせらず取り組んでいくか。
今年も健康に気をつけ、「いにしえの本」からエネルギーを戴こう。

2011年末に。経済界刊「時務を識る」北尾吉孝著2011・12刊

 関東以西で想定されていた「大地震」の到来と、逆に原発安全神話として信じられ、想定されていなかった「原発放射能汚染事故」の1年であった。目の前に自然に育まれ、生まれ育った故郷がありながら戻れない事実ほど悲惨なことはない。取り返すことの出来ない現実の姿である。
被災地域の復旧・復興・原発処理にこれから数十年の時間を要するだろうし、生態系が元を取り戻すのにそれ以上の歳月が必要といわれている。
それにしても対応は遅い。復興本部の設置の法律が成立したのはつい先月だった。復興本部がようやくと思っていると、収束宣言が出た。
 僅かずつ改革、改革といいながら、行きつ戻りつ進む政治より、いっそ、全体をリセットし直し、再生した方が改革するより早いかもしれない。「大阪維新の会」の躍進はそれを要求しているかもしれない。過大期待は禁物ではあるが。
 経済界も同じだ.いつまでも重厚長大産業の利益団体のトップが経団連を牛耳っている。先のブログ(2011-7-28)で「楽天」の経団連脱退にふれこう書いた。『・・・50代でも最近楽天の経営者が経団連を脱退した。大分我慢をしたのだろう。脱退賛成である。旧弊の組織を内部より改革することも重要だが、既存の組織とは違う、若い経営者が躍動的気分になる新組織を仲間と立ち上げて欲しいと期待している』と。

 標題の著者は,ソフトバンク・インベストメントホールデイングという投資会社の創業者であり、現在も尚、グループ全体の采配を行い、国内の新興企業だけでなく中国、インド、韓国、カンボジア、ロシア、ベトナムなどなどの国々の新興企業に投資、いまや日本のトップの投資会社の現役経営者であるが,同様の趣旨の考えが述べられてあった。
 標題の著書の『新しい日本を目指せ』というタイトルで『今の日本には経団連に代表される寄せ集めのような組織は不要ではないかと考えており、そのような組織を存続させ続けることとしてそれほど大きな意味はないと、捉えています。時代に逆行する組織はすべて不要であると考えております。世界的に視れば、例えば米国では経団連のような組織が、日本のように運営されているはずもなく、そのようなことをしているのは開発途上国、新興諸国が自国産業の売込みなどのためにデリゲーションを組んで海外に出かけているといった程度である。日本もデリゲーションを組んで訪中してみたりしていますが、なぜ日本人というのはそれほど団体行動が好きなのか良くわからない。』と(本書)。その後外食・流通団体が新組織立ち上げたようだ。いつまでも重厚長大産業の出番ではない。
 次に同様の観点から感動的な全面広告を読んだ。このような若者の経営者を発掘し育成していくシステムをむしろ経団連の『頭』は実施していくべきと考えるが。多忙で全面が文章だけの広告を読まなかったり、又読み落とした人のために要旨を書く。特に30代・40代。ここ20年就活で苦労の多かったこれらの世代には感じる部分あるのではないかと思うが。

日本経済新聞2011・11・1付朝刊全面広告。
『グリー』という新興企業がある。『携帯交流サイト〔SNS〕運営事業』。交流サイト内で仲間と一緒になり複数の端末を使いゲームを楽しむ。国内では携帯電話、スマートフォンの普及に伴い利用が急拡大。設立2004・12月。上場2008・12月。ネット業界ではヤフー・楽天に続き3位グループに位置する。時価総額一時5000億とも。

代表取締役田中良和社長の文章。紹介する。

『1977生まれ、34歳。自身の過ごした中高時代の1990年代は,成長時代の体験なく、横這いと下り坂を繰り返す、日々縮小する日本しか知らない世代だった。努力しても意味なく、いかに楽をして過ごすかがすべてで、何も変わらないから頑張るだけ馬鹿らしく、悲観的で、シニカルであることが賢いことであり、建設的、前向きが愚かで、社会、他人の批判と批評を繰り返し問題点挙げるものの、解決の行動するわけでもない、という社会に「違和感」を感じたという。

 その中で未来の社会を創造するそのための努力,挑戦を厭わない「シリコンバレーの哲学・価値観」に魅入り、進むべき道を指し示してもらった。「グリー」は当初、インターネットを通じ世の中を変えられるとの考えで、自分が教えをもらったことを、ただやっているだけという個人の趣味としてボランテアとしてスタートした。周囲より、なぜ、そのような無意味のことをするのか、何の利益があるのかとの忠告を幾度ともなく受けた、という。その後資金的にも、時間的にも個人の出来る範囲を超え,寝られずに 逃げ出したかったことは幾度もあった。がしかし、多くの人にサイトが使われているから無くす訳には行かなく、会社を創り踏ん張ったという。
 新しいことに挑戦すれば何もしない人の何倍もの多くの失敗を重ねます。他の人と違うことをやれば、馬鹿だ、無駄だと絶対に成功しないと毎日のように言われる(日本)。それでも続けた誰かだけが新しい何かを生み出して来た。そういう人々が世の中を変え今の社会や生活を生み出してきた。』・・・と。

 筆者はこの全面広告を一気に読み終えた。こういう若い人が今の日本にいる、と感動した。

「時務を識る」とは時代に対する深い洞察力を持ち、時代時代の流れをしっかり掴みその中で何をすべきかを知る、という「三国志」の中にある司馬徽(キ)の言葉という。著者は現役実業の傍らSBI大学院大学の学長でもある。筆者は年何回かのIR講演会に参加している。この大学院大学は経営人間学としての「朱子学」の講座を持っている。めずらしい。1講座8万円。朱子学の『理と気』に興味を持っているので時間的にも余裕が出来たら単位などは別に講義に出席したいと考えている。6世紀ごろ出来たといわれる初等教育の「千字文」同じく宋代末より普及した「三字経」等の初等教育教科書。その後,朱子が弟子に纏めさせたといわれる『小学』に始まり、「大学・中庸・論語孟子」の『四書』、更に進んで「易経書経詩経礼記・春秋左氏伝」の『五経』の儒学の根本聖典。これを学ぶには人生の時間が少ないが。
 著者は又、儒学に関連づけた経営書も多く書いている。その中で「森信三に学ぶ人間学」という著書がある。森信三の著書を復刻し若い人に広めたいとも著書で述べている。森信三:明治29年愛知県知多の生まれ。京都大学西田幾多郎に学んだ哲学者であり、平成4年11月97歳で亡くなった。80歳で我々日本人の立場から考えた東洋と西洋を繋ぐ世界観と人生観を統一しあるべき姿を求めたといわれる「全一学」という著書の執筆に取り掛かり90歳近くで完成させた。『日本人として「脊梁骨(せきりょうこつ)」を立て若い人自らの主体性を確立せよ』と説いた。「物の世界が過度に繁栄すれば心の世界はそれと平行して進歩かというと、そうではない。物質文化は絶対に後退する事がないのに対し精神文化は進歩と退歩を繰り返す。何故なら、物質文化は積み重ねることが出来るが精神文化は人間誰しも死を迎え地上より消えるからという。

「脊梁骨の人間学」がないと現在の民主党政権だ。期待した民主党のマニュフェストは総崩れ。沖縄発言、増税前の諸制度の改革が一向に見えない。年金制度改革、歳入庁新設、議員削減、最後は八ツ場ダム。選んだ側の責任、つまり選挙民の責任大なり.いまや自らが自らの責任で処世する時代だ。人間は自らの使命に気づいて真の生を送ることが出来るという.『自ら鍛えていくしか仕方ない』という認識は森信三に通じるし
グリーの34歳田中良和社長の如くではなかろうか。老いては子に従え、というが、良いことは若者であれ学ばねばならない。(了)

講談社現代文庫「韓国は1個の哲学である」小倉紀蔵著・2011・5刊

 世界はまさに不安定の様相である。資本主義の行き過ぎた「格差社会」に反対するアメリカ若者のウオール街でのデモ、同じくロンドンでの若者のデモ、欧州財政危機、中東オレンジ革命による民主化運動、カダフィリビア独裁もついに倒れた。アメリカ$の暴落する一方資源を抱えた南アメリカ、オーストラリア、中国が世界経済に発言力を増して来ている。まさに歴史の転換の時代に生きていると実感する。今後はどういう社会に進むのか?これから先時代はどう動くか、予測がつかない。こういう時代は歴史を100年単位で勉強するしかないのだろう。

 この夏 隣国韓国を息子達の案内で旅する。韓国は欧州連合EU)、東南アジア諸国連合ASEAN)、インド、南米チリとFTAを結びつい最近米国(発効はまだ)とも結んだ。「FTAハブ戦略」をとっている。電子・ITでは日本を抜いており、現に有機ELパネルでは「サムソンモバイルデスプレイ」のシエア約80%で1位、3位のパイオニア約5%、ドラムでは1位、2位の「サムソン電子」と「ハイニックス半導体」で60%、3位の日本のエルピーダを抜いている。NAND型フラッシュメモリーでサムソン電子4割、東芝3割の力だ。日本の弱電数社の時価総額が韓国弱電1社分しかないという統計、産業用電力の価格も日本に比較し安価と、原子力発電の受注合戦でも遅れを取り、LNG船舶でもサムソン重工業に遅れを取っている。更には太陽光、風力といった再生可能エネルギー、電気自動車などの新産業育成、はたまた、気候変動取引(排出権取引〕に絡むビジネスにも力を入れていると聞き及ぶ。最近の報道によると強い経済とみられる韓国ウオンがウオン安になり、反対に経済停滞の日本の円が円高に流れる皮肉な状況になっているが総じて経済戦略は日本より進んでいるように見える。円がウオン防衛すると新聞は報じているが、為替戦略も負けているのかも知れない。勝ち負けはともかく、智慧の戦いが、なにやら技術で勝って市場競争で負けている観がある。

 韓国は「儒教の国」といい、長幼の序を重んじ、目上を敬い、先祖崇拝の気持ちは日常の礼儀作法に受継がれているとも聞く。キリスト教の帰依する人も多く東洋のキリスト教国の様相もあると聞くし、李朝時代の「崇儒廃仏政策」にも係わらず仏教も韓国の土壌に浸透しているとも聞く。同じ資本主義国、自由主義国,一方は儒教キリスト教。一方は仏教の国。決定的な違いはどこから来るのか。その因を考えながらソウルー太田ー百日紅のきれいな慶州ーフザンを案内された。

 標題の書は、著者が『たった1冊の本で、韓国を仕留めることであった。間違いやブレは許されず、確実に一撃でなければならなかった。この本を書いたら後はなにも書く必要のない本を書くことだった』と最初に上梓して13年後の2011年『文庫』書へのあとがきで述べている。それだけブログ筆者には読後「グサリ」来た書物であった。
 標題の著書には弟分(続いて書かれた著書)がある。『韓国人のしくみ・理と気で読み解く文化と社会・2001・1刊』である。標題の本は1998.11月に初めて上梓された。兄貴分の「標題の本」と「弟分」を読むと韓国の本質をより理解できる。「ブレ」まくりの日本の政治家、あまり理屈を言わない現在の日本人の生き方に参考になるのではと考える。「兄貴分」は「理」が勢いあまり少し強く出ている。「弟分」(続著)は少し距離を置き柔らかく、しかしながらも「兄貴」の語ったことを復習できるうえ再確認できる。

 著者はソウル大学哲学科でみっちり韓国の儒学つまり朱子学を8年間勉強し、韓国での研究生活から帰国直後に書き表した著書である。 イデオロギーの見方、表層観察的はもちろんだが、西洋的世界観の機械的な見方で韓国を認識することはできないと、自信を持って語っている。それだけにこの本は面白くわかりやすいのかもしれない。
最初に上梓して10年以上経過したが今年5月文庫改訂の際この間の韓国社会、政治経済の経過を基本的な部分はブレなく解説している。

 本書は複雑な韓国社会および韓国人を「理気学」の「理」及び「気」という朱子学の2項の基本概念で説明している。「理」とは真理、原理、倫理、物理の如く,いはば「万物を貫く普遍的性善説的原理」である。「高邁な理」「堕落した理」に別れる。「気」とは感性、感情の心性の世界で「気」には清濁があり、この清濁により物事を正しく導くべき「理」の現れ方が異なるとされる。
 例えば、「気」が濁っていれば「理」の力は適切に発揮されず、物事は悪い方向に向かう。「気」が澄んでいれば、「理」の力は本来どおりに現れることになり正しい方向へ行く。朱子学の論理は、汚れた空気を排除してありのままの景色を見るべきで、もし汚れていれば排除すべきと考える。何故なら理想的社会は『理』にかなうあくまで美しく正しいものでなければならないからである。世界は美しく正しくなければならない、そのためには誤った事実は正さねばならない。韓国人の歴史観、世界観はこうした朱子学の論理に大きく支配されている、という。

 朱子学は1392から1897年李朝朝鮮500年のプリンシパルであった。韓国独立して60年余.李朝後の大韓帝国以来計算しても110年余。「儒」という考えがその後も国民の基軸に、都市と地方の程度差はあろうが浸透しているのではなかろうか。
 昨年NHKTVで感動した韓国の特別番組があった。子供を地方の儒家の古老の家に送り、古老の下で礼儀作法を勉強させる韓国の「塾」が紹介されていた。「礼儀作法」に「塾費」というお金を親が支払い子供を教育する考えは、現在の日本の親、日本社会には聞いたことがない。頭でっかちの「知識」を詰め込むには日本の親は金銭を惜しまないが。日本にはこれが決定的に欠けていると感じた。これが現代日本のいはば「バックボーン」のない社会を創っているのかと考える。誤解ないように確認しておくが「儒教社会」に戻れといっているのではない。

 戦後日本は道徳教育が忌み嫌われ 道徳といえばあたかも人間性を封建的な型にはめる悪の装置であるかのように認識された。親も子供に対して明治の親のように「躾」を厳しくしなかったのではないかと思う。日本では儒教というと「道徳」であり「形式主義」ととらえる向きがある。「保守・継続」と捉え、「守旧,退嬰」の権化と考える向きが強いが、韓国の朱子学は本来は断絶であり、変化のイデオロギーとする。元々儒教は「宗教性」と「礼教性(作法)」を持っていたが日本には「礼教性」が武士階級で重視、「宗教性」は仏教に取って代わられた。地方では仏教に対する祭祀の作法に儒教の作法に近い作法が見られる。この儒教の学問の生成発展は後述の加地伸行著『儒教とは何か』(1995)に詳しい。

 今年「東日本大震災」に見舞われた東北の中学の卒業式の際、涙ぐんで述べる卒業生の答辞に「天を恨まず・・・」という感動的言葉があった。早速文科省の教科書に取上げられたようだ。筆者の考えは、新渡戸稲造金田一京助宮沢賢治を生んだ東北のこの地には 戦後の学校教育では教えていないと推察しているが、先祖の古老より家庭での団欒の中で子供を「諭(さと)す時に使うこのような『天』という言葉が残っているのだろうと考えている。(お天道様が視ているとか)。良いことである。

 今度の韓国の旅で驚いたことがある。2010年10月ユネスコ世界遺産に登録された慶州に近い「良洞村』は、朝鮮王朝時代から続く昔ながらの両班という儒家官僚の集まった村である。その村の中心に『大きな蓮の池』があり、周囲のわらぶき屋根の集落と見事に調和している風景は筆者が少年の頃東北で見た風景と酷似していた。日本のほかの地域にも似たような風景があるのだろう。ともかく「儒」の思想は朝鮮から日本の東北の寒村まで伝わっていたのである。

 韓国は数百年の間、継続して朱子学の国であったのではないか.李朝朝鮮による全社会の儒教化政策以後 韓国は継続して儒教国家,正確には朱子学国家であったのではないか。体制やイデオロギーがいかに変わろうとも韓国の底流は朱子学国家であり続けた。筆者はこの辺が歴史を大事にしないといわれる「戦後60年の日本のあり方」との違いの決定的なところではないかと考えるが。韓国では、その結果子供に対し先ずは礼儀作法のため地方儒家の古老宅への派遣が今日でも行われているのである。その後は「理気的思考」へ進むのだろう。若い人の留学熱も日本以上である。

日本の儒教は「道徳」という教育の中だけにあるのに対し(それもかなり形骸化しているが)、韓国の儒教、正確には朱子学は『理』と『気』の掛合いの中で「巨大な理の道徳」を奪い合う「正・反・合」のプロセスで、政治、社会、文化あらゆる分野に力を及ぼしているのが実際ではないのかと考える。
したがって、竹島日本海の呼び名、教科書問題については相当の高い次元の理論を日本が用意しないとなかなか納得はしない予感がするが。「高邁な理」が見つかれば解決するかもしれないが。

 本書で「儒教社会のインテリは死ぬまで道徳と戦う格闘家なのだ」著者は述べている。「どういうことか」と注意深く読むと、新しい「理」を引っさげて登場する勢力はこれまでの常識とは違う革新の儒教を展開する。お互い言葉で創る堅固な「理」。極端ではあるが昨日まで大統領がその後死刑囚になったり、金大中元大統領のように死刑囚が大統領になる韓国の「理」。
 この本を読み日本人は韓国を甘く見ているのではと考える。戦後60年、韓国の底流に流れ、国民のバックボーンの「理と気」の朱子学。その結果冒頭の今日の経済の彼・我の姿である。大負けである。

 朝日新聞第1日曜日 第3日曜日朝刊に「GLOBE」という別冊が入る。その中に「ソウルの書店から」の記事が時折掲載される。書店に見る「理と気」の現実。隣国韓国の研究にこの記事のこれからの内容が楽しみである。

 昨年11月に、一橋大学創立135周年記念且つ、国立移転80周年の記念式典があり、講演会が行われた。その中で創立者渋澤栄一について現代の行き詰まった社会の再構築に渋澤栄一の思想の紹介が取上げられていた。筆者のところに毎月玄孫である渋澤健氏より『論語と算盤』のメールが入る。

 明治に生きた渋澤栄一の『理と気』。読んで学ぶものは沢山ある。(了)






(何冊かの韓国に関する書籍案内)

朝鮮民族を読み解く・北と南に共通するもの 
 古田博司 ちくま新書
韓国人の作法               
 金栄勲  集英社新書
街道をゆく・2・韓のくに紀行       
 司馬遼太郎 朝日新聞
儒教とは何か               
 加地伸行  中公新書
日本外交官韓国奮闘記           
 道上尚史  文春新書
在日韓国人の終焉             
 鄭大均   文春新書
大韓韓国の物語・韓国の国史教科書を書換よ 
 李栄薫
韓国のデジタルデモクラシー        
 玄武岩  集英社新書
百寺巡礼 朝鮮半島            
 五木寛之 講 談 社