ミネルヴァ書房「何処へ行くのか、この国は」村田良平著・2010・4刊

 梅雨の終盤となると、記録的大雨がここ何年か続いている。今年は北部九州、熊本、佐賀、大分、福岡が大被害を受けた。関東は先週梅雨明けとなった。
 暑い夏に入る。7月末から8月の終戦記念日にかけ新聞は太平洋戦争、歴史の反省の論調に紙面を割く。しかし今年はわからない。原発再稼動の是非問題、東日本大震災の復興停滞,尖閣諸島の領土問題、いずれもそれ以上の「あつい」問題が我々の眼前にある。

 今日の日本の社会の姿、総理までやった政治家の軽い言動・発言を視ると「一本筋の通った」と言われる人の著した本を読みたくなる。『村田良平回想録』が2008年出版された。出版後の2010年6月日米間の核持込に関する「核密約」(沖縄の財政密約などの密約の1つ)についてそれまで代々否定してきた引継書の存在を明らかにしその後の一連の密約解明の端緒となった元外務官僚である。「よくぞ。」と意気に感じたものである。又、小泉内閣川口大臣に対し外務省改革との関連で官庁は企業ではなく国民にこび,おもねる「ポピュリスト的手法」を忠告したという人物である。在職中は条約局外務参事官、中近東アフリカ局長、経済局長、事務次官、米国大使、統合後のドイツ大使を歴任した。
 本書は前記『回想録』のダイジェストで後進、特に若い人への遺言として亡くなる直前80歳で書き上げた著書である。残念ながら2011年3月御逝去された。(沖縄問題のテーマは、このブログ2009・11・10の山崎豊子「運命の人」に書いてあります。お読みください。)

 読了して思う。巷 マスコミの公務員たたき,官僚バッシングで公務員には向かい風の激しい中、外務官僚としてこのような骨太の官僚が日本の外交に携わっていたのかと己の勉強の至らなさ、浅学を恥じた。
 「米国と仲良くしてさえいれば良い」、と発言し報道された単純思考の元総理がいたが、そのアメリカに元外務官僚、元アメリカ大使は一貫して「冷厳」だ。

 「クラウゼヴィッツ」を本書で引用する。
「敵の軍隊を壊滅しても国が残れば軍隊は再建できる。敵の国を壊滅しても、国民が残れば国は再建できる。しかし、国民の意思、魂を壊滅させれば完全に敵国を壊滅できる。」と。

 著者は「小中学校教育は,シナ事変と大東亜戦争中に受けたが極度の軍国教育を受けたのは既に大東亜戦争開始後の中学での約2年間で、その後軍用機部品製造工場で働き終戦を迎え、敗戦の翌年、17歳で旧制第三高等学校に入学、更に京都大学に進んだ。」と72歳の時の自書『甦れ日本外交・なぜ外務省はダメになったか』で述べている。
 この年頃より米国の占領政策及び米国人の独善主義に強い疑問をもったという。その後外務省に入り、良く米国を知り、日米関係の重要性を認識した後も、終生米国に対するわだかまりを80歳まで持ち続けていた、と本書で語る。
 
 筆者は常々日本の今日を考える時、6年8ケ月の占領時代の米国の政策がどうだったのか、を考える。占領前の日本の良い慣習など相当捨て去られたのではと考えている。その点について本書は「第2章 米国における日本占領の真相」で述べている。全部は本書の熟読に譲るが、教育基本法の導入を初めとして国民の教育に関わる分野で大規模な洗脳が行われたという。ドイツが教育体制の改革を拒否したのに対し、日本は6・3・3・制と教育委員会を骨子とする教育改革を唯々諾々と受け入れた。 この背景を、著者はポツダム宣言の底流に流れた、アジア人に対する偏見、占領軍は「日本人の実質的奴隷化」を一度は考えたのではと、当時の前後の資料を分析し語っている。 日本の美点 伝統の尊重が無視され、歴史を形成した偉人の業績を教えず、あるいは意図的に削除し、明治以後の歴史について、それまでの日本自身、世界史的に持つ意義を教えず、児童生徒が知らないままに育つ結果となった。実際 筆者の小・中学生時代はあまり記憶にない。これら文部省の無見識、教育委員会の有名無実化と相俟って特に昭和30年代から50年代にかけ 日本の教育に深刻な影響を与えた。あわせ偏向マスコミの影響が大きいと語る。教育委員会については昨今の滋賀県大津市教育委員会の現状、一昨年の北海道滝川市教育委員会の現状。いつまでたっても事なかれは治らない。

 更に「自主憲法制定」にも触れている。既に常識化しているので詳しく書かない。「北康利・白洲次郎 占領を背負った男」から現行憲法制定時の白洲次郎の手記を紹介している。「コノ如クコノ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル。’今ニ見テイロ’ト云ウ気持抑エ切レズ密カニ涙ス」。

 筆者(ブロガー)は2003年3月丁度ネオコンの発言の強い頃当選したばかりのブッシュ(子)大統領の発言として「1945年8月の日本同様、イラクもサダムフセインが打倒されれば、民主国家としてさして時間はかからない・・・」との報道を記憶している。「本当か?日本人とは違うのではないのか」とその認識に違和感を持った記憶がある。事実その後10年いまだ泥沼から出ていない。もう1つは2008年リーマンショック直後、アメリカからはじめた「BIS基準」について、自国が大変なので止めようということがこれもTV報道されていた。米国という国はいざとなると身勝手な国かもしれない。

 占領政策の後遺症について考えれば人間の意識や歴史観は時を経て変るであろうし国際情勢の変化によって変る。中国観はいざ知らず、若い人の米国観、更には韓流ブームを視ると韓国観も、大きく変っているのではないだろうか。日米関係について著者は日本の国益と米国の国益は離れていく分野が大きく、日米が最重要という思い込みが先立たないようにと指摘している。米国にとっては日本は相当数ある友好国の1つであり、利用している有用性が減少すれば希薄化する運命にあるとしている。先の元総理大臣の「日米関係さえ良ければ」とは雲泥の認識の差である。

 戦後60数年 米軍再編により安保体制下の在日米軍のあり方は変って来ているようだ。現在進行中の「オスプレイ配備問題」。防衛の基本設計は透視できないがアメリカで決められた後 通告されているとしか我々に写らない現行体制。忙しいビジネスマン、頭でわかっても意思表示の難しい社会。公約守らずの道義の弱くなりつつある社会、それらが次第に社会を脆弱化させて行く。
 著者は日本人の自尊心の問題として歴史に区切りをつけるため、終戦後100年の2050年目標に安保体制を終了させ、米軍完全撤退のスケジュールを「笑われるのを覚悟で」と提案している。防衛をアメリカに任せ、当事者としてとらえない考えの多い日本人への自覚と警醒の書ではなかろうか?・・・さすが戦前に生まれ、戦中、戦後を生き抜き 敗戦後の日本国外務省で鍛えられた外務官僚と敬服する。(合掌)