現代書館「小説 外務省・尖閣問題の正体」孫崎 享著2014・4・10刊

 本書「小説・外務省」に入る前に、外務省を取り上げた小説に、山崎豊子の「運命の人」がある。このブログ2009・10・31と2009・11・10で取り上げた。「運命の人」は琉球大学の我楽政規教授が米国立公文書館が秘密指定を解除した陸軍省参謀部軍史課による「琉球諸島における民政史」の中に1972・5月の沖縄返還に至る日米両国政府の交渉の実態の中に「密約の存在」を発見し、明らかになったことで終わる。

 このブログで「この事件の行き着く先の結論まで暫らく付き合わねばならない。」と書いた。それから5年が経った。主人公弓成のモデルとなった西山記者は70歳を超えた年齢で国を相手取り損害賠償と謝罪を求めた民事訴訟を起こす。2007・3月「20年の民法除斥期間」を理由に請求棄却、「密約の存在」に答える必要なしと裁判所は判断しなかった。最高裁でも2008.9月上告棄却となった。
支援有識者弁護団はその後「不開示処分取り消し求める訴訟」を地裁に起こした。その最終審、最高裁の上告審が先月14日(2014・7・14日)行われた。
 2010年・4月第一審では東京地裁は「文書は極めて重要性が高く国が保有していると認定できる」とし開示と損害金支払いを命じた。第二審、東京高裁は2011・9月「密約文書はかって作られたことは認定しながら秘密裏に廃棄された可能性あり。」として、不開示妥当と判断した。そして最終審。「第二審判決を支持し原告側の上告を棄却」。過去に作成されたことが立証された文書についても行政機関が文書を保有していたことの立証は原告側が負う、と初判断を示し、敗訴確定した。この事件スタートから40余年要した。今の民主主義を建前とした政治である。2001年情報公開法施行前後、大量の行政文書が廃棄されたという報道がある。今年12月特別秘密保護法が施行される。受け身でなくテレビ、新聞の「報道の真偽」を見極めることも大切なことだ。


 「小説・外務省」を一気に読んだ。第三章・「歴史の探訪」が重い。1972年9月当時の田中角栄首相・周恩来首相の会談、それに続く1978年の園田外相、訒小平副首相の日中平和友好条約締結時までは「棚上げ論」が支配的であったが、いつのまにか「棚上げ論」が否定されて「領土問題は存在しない」と日本政府。外務省の方針となっている。
 孫崎氏モデルの主人公は35歳の東大出の外交官。加賀という一向一揆のDNAある土地柄と関連づけるわけではないが、左遷覚悟で、外務省の方針に反し「棚上げ」が日本の国益に沿うと腹を決め省内の反発を受けながら、中には理解ある上席に力を貰いながら、組織内で仕事してゆく。大変なことである。

 さて「棚上げ」の合意があったかとか、無かったとかより「棚上げ」が否定され「領土問題存在なし」というこの考え方の出てきた日本の外交方針の変化に主人公は 退官した先輩に聞いたり、種々の
文書を調べたりしメスを入れてゆく。

 それは1996年前後。冷戦が終わり日米双方に安全保障関係をどうするか様々の議論があり、その中で防衛庁中心に纏めた「アメリカより多国間の関係構築を最重視する政策のレポート」にあわてた米側が急ぎ日米軍事同盟の性格の「日米安全保障共同宣言・21世紀に向けての同盟」を創ったことに気が付く。この前後に関与、関係した、防衛庁要人が続けてガンでなくなるのも小説なのか、真実なのかミステリアスであるが。もっともこの当時の外務大臣に、日米軍事同盟推進派の池田行彦や慎重派の園田直の名前はブログ筆者も覚えているし、当時は慎重派を支持していた。
 この時 推進派が「棚上げ合意否定」し、慎重派が「棚上げ合意肯定」し、その後外務省内の力関係のアメリカンスクール派と ジャパンハンドラーの戦略で「棚上げ合意論」が後退し、今日の「領土問題存在なし』になったのではと考えてゆく。

 そして沖縄返還の際に「尖閣」の領有権を曖昧にし、つまり返還以前と返還以後について明確にしないで:(尖閣についてアメリカは日米安全保障の対象であるが、領有権はどちらにも与せず:1996・9・15:ニュヨークタイムズ他、その後もアメリカ高官の同趣旨の発言ある。)日中永久に争わせる楔を打ったという。この時代のアメリカは「ウオターゲート事件」など「陰謀の宮殿」といわれたニクソンキッシンジャーホワイトハウス、考えられなくもなしと主人公のモデルの孫崎氏は語る。筆者も同感である。併せて戦後の事実の1951年の在日英国大使館から本国政府への「進言」がナルホド感を与える。それは「日本に千島を放棄させその範囲を曖昧にさせれば、これも日ソ永久に争う」と。

 昨年の尖閣の漁船衝突事件は記憶に新しい。これもジャパンハンドラーの手に当時の前原大臣が乗ってしまったという。この時の衆議院議員河野太郎の2000年の「日中漁業『新協定』」を絡めたブログの指摘に感心した。この議員やはりどこか違う。


今「ウクライナ問題」がある。一方で「プーチンの予定どうりの日本訪問と日本との北方帰属問題」がある。

 日本の国益のため政府・外務省はアメリカのジャパンハンドラーの意向のとうりのままなのか、あるいは、独自の成程という外交戦略をとるのか。9月、10月、11月、12月の日本国のかじ取りがどうか。大いに関心大である。
 終戦時10代で占領軍のやり方を身体を以て体験し、外務省に入り、事務次官をやった故・村田良平は「回顧録」で後進達に戦後100年をめどに自主の道をと書いて亡くなったが来年は戦後70年目とか。自主の道は最近の東アジア、ウクライナ事情を見ると、逆に遠くなるようだ。

 それにしても元外務官僚はいろいろの書を読んでいる。佐藤優孫崎享、熊野洋(ペンネームか?)などなど。脳細胞の刺激を強く受ける。(了)