講談社現代文庫「韓国は1個の哲学である」小倉紀蔵著・2011・5刊

 世界はまさに不安定の様相である。資本主義の行き過ぎた「格差社会」に反対するアメリカ若者のウオール街でのデモ、同じくロンドンでの若者のデモ、欧州財政危機、中東オレンジ革命による民主化運動、カダフィリビア独裁もついに倒れた。アメリカ$の暴落する一方資源を抱えた南アメリカ、オーストラリア、中国が世界経済に発言力を増して来ている。まさに歴史の転換の時代に生きていると実感する。今後はどういう社会に進むのか?これから先時代はどう動くか、予測がつかない。こういう時代は歴史を100年単位で勉強するしかないのだろう。

 この夏 隣国韓国を息子達の案内で旅する。韓国は欧州連合EU)、東南アジア諸国連合ASEAN)、インド、南米チリとFTAを結びつい最近米国(発効はまだ)とも結んだ。「FTAハブ戦略」をとっている。電子・ITでは日本を抜いており、現に有機ELパネルでは「サムソンモバイルデスプレイ」のシエア約80%で1位、3位のパイオニア約5%、ドラムでは1位、2位の「サムソン電子」と「ハイニックス半導体」で60%、3位の日本のエルピーダを抜いている。NAND型フラッシュメモリーでサムソン電子4割、東芝3割の力だ。日本の弱電数社の時価総額が韓国弱電1社分しかないという統計、産業用電力の価格も日本に比較し安価と、原子力発電の受注合戦でも遅れを取り、LNG船舶でもサムソン重工業に遅れを取っている。更には太陽光、風力といった再生可能エネルギー、電気自動車などの新産業育成、はたまた、気候変動取引(排出権取引〕に絡むビジネスにも力を入れていると聞き及ぶ。最近の報道によると強い経済とみられる韓国ウオンがウオン安になり、反対に経済停滞の日本の円が円高に流れる皮肉な状況になっているが総じて経済戦略は日本より進んでいるように見える。円がウオン防衛すると新聞は報じているが、為替戦略も負けているのかも知れない。勝ち負けはともかく、智慧の戦いが、なにやら技術で勝って市場競争で負けている観がある。

 韓国は「儒教の国」といい、長幼の序を重んじ、目上を敬い、先祖崇拝の気持ちは日常の礼儀作法に受継がれているとも聞く。キリスト教の帰依する人も多く東洋のキリスト教国の様相もあると聞くし、李朝時代の「崇儒廃仏政策」にも係わらず仏教も韓国の土壌に浸透しているとも聞く。同じ資本主義国、自由主義国,一方は儒教キリスト教。一方は仏教の国。決定的な違いはどこから来るのか。その因を考えながらソウルー太田ー百日紅のきれいな慶州ーフザンを案内された。

 標題の書は、著者が『たった1冊の本で、韓国を仕留めることであった。間違いやブレは許されず、確実に一撃でなければならなかった。この本を書いたら後はなにも書く必要のない本を書くことだった』と最初に上梓して13年後の2011年『文庫』書へのあとがきで述べている。それだけブログ筆者には読後「グサリ」来た書物であった。
 標題の著書には弟分(続いて書かれた著書)がある。『韓国人のしくみ・理と気で読み解く文化と社会・2001・1刊』である。標題の本は1998.11月に初めて上梓された。兄貴分の「標題の本」と「弟分」を読むと韓国の本質をより理解できる。「ブレ」まくりの日本の政治家、あまり理屈を言わない現在の日本人の生き方に参考になるのではと考える。「兄貴分」は「理」が勢いあまり少し強く出ている。「弟分」(続著)は少し距離を置き柔らかく、しかしながらも「兄貴」の語ったことを復習できるうえ再確認できる。

 著者はソウル大学哲学科でみっちり韓国の儒学つまり朱子学を8年間勉強し、韓国での研究生活から帰国直後に書き表した著書である。 イデオロギーの見方、表層観察的はもちろんだが、西洋的世界観の機械的な見方で韓国を認識することはできないと、自信を持って語っている。それだけにこの本は面白くわかりやすいのかもしれない。
最初に上梓して10年以上経過したが今年5月文庫改訂の際この間の韓国社会、政治経済の経過を基本的な部分はブレなく解説している。

 本書は複雑な韓国社会および韓国人を「理気学」の「理」及び「気」という朱子学の2項の基本概念で説明している。「理」とは真理、原理、倫理、物理の如く,いはば「万物を貫く普遍的性善説的原理」である。「高邁な理」「堕落した理」に別れる。「気」とは感性、感情の心性の世界で「気」には清濁があり、この清濁により物事を正しく導くべき「理」の現れ方が異なるとされる。
 例えば、「気」が濁っていれば「理」の力は適切に発揮されず、物事は悪い方向に向かう。「気」が澄んでいれば、「理」の力は本来どおりに現れることになり正しい方向へ行く。朱子学の論理は、汚れた空気を排除してありのままの景色を見るべきで、もし汚れていれば排除すべきと考える。何故なら理想的社会は『理』にかなうあくまで美しく正しいものでなければならないからである。世界は美しく正しくなければならない、そのためには誤った事実は正さねばならない。韓国人の歴史観、世界観はこうした朱子学の論理に大きく支配されている、という。

 朱子学は1392から1897年李朝朝鮮500年のプリンシパルであった。韓国独立して60年余.李朝後の大韓帝国以来計算しても110年余。「儒」という考えがその後も国民の基軸に、都市と地方の程度差はあろうが浸透しているのではなかろうか。
 昨年NHKTVで感動した韓国の特別番組があった。子供を地方の儒家の古老の家に送り、古老の下で礼儀作法を勉強させる韓国の「塾」が紹介されていた。「礼儀作法」に「塾費」というお金を親が支払い子供を教育する考えは、現在の日本の親、日本社会には聞いたことがない。頭でっかちの「知識」を詰め込むには日本の親は金銭を惜しまないが。日本にはこれが決定的に欠けていると感じた。これが現代日本のいはば「バックボーン」のない社会を創っているのかと考える。誤解ないように確認しておくが「儒教社会」に戻れといっているのではない。

 戦後日本は道徳教育が忌み嫌われ 道徳といえばあたかも人間性を封建的な型にはめる悪の装置であるかのように認識された。親も子供に対して明治の親のように「躾」を厳しくしなかったのではないかと思う。日本では儒教というと「道徳」であり「形式主義」ととらえる向きがある。「保守・継続」と捉え、「守旧,退嬰」の権化と考える向きが強いが、韓国の朱子学は本来は断絶であり、変化のイデオロギーとする。元々儒教は「宗教性」と「礼教性(作法)」を持っていたが日本には「礼教性」が武士階級で重視、「宗教性」は仏教に取って代わられた。地方では仏教に対する祭祀の作法に儒教の作法に近い作法が見られる。この儒教の学問の生成発展は後述の加地伸行著『儒教とは何か』(1995)に詳しい。

 今年「東日本大震災」に見舞われた東北の中学の卒業式の際、涙ぐんで述べる卒業生の答辞に「天を恨まず・・・」という感動的言葉があった。早速文科省の教科書に取上げられたようだ。筆者の考えは、新渡戸稲造金田一京助宮沢賢治を生んだ東北のこの地には 戦後の学校教育では教えていないと推察しているが、先祖の古老より家庭での団欒の中で子供を「諭(さと)す時に使うこのような『天』という言葉が残っているのだろうと考えている。(お天道様が視ているとか)。良いことである。

 今度の韓国の旅で驚いたことがある。2010年10月ユネスコ世界遺産に登録された慶州に近い「良洞村』は、朝鮮王朝時代から続く昔ながらの両班という儒家官僚の集まった村である。その村の中心に『大きな蓮の池』があり、周囲のわらぶき屋根の集落と見事に調和している風景は筆者が少年の頃東北で見た風景と酷似していた。日本のほかの地域にも似たような風景があるのだろう。ともかく「儒」の思想は朝鮮から日本の東北の寒村まで伝わっていたのである。

 韓国は数百年の間、継続して朱子学の国であったのではないか.李朝朝鮮による全社会の儒教化政策以後 韓国は継続して儒教国家,正確には朱子学国家であったのではないか。体制やイデオロギーがいかに変わろうとも韓国の底流は朱子学国家であり続けた。筆者はこの辺が歴史を大事にしないといわれる「戦後60年の日本のあり方」との違いの決定的なところではないかと考えるが。韓国では、その結果子供に対し先ずは礼儀作法のため地方儒家の古老宅への派遣が今日でも行われているのである。その後は「理気的思考」へ進むのだろう。若い人の留学熱も日本以上である。

日本の儒教は「道徳」という教育の中だけにあるのに対し(それもかなり形骸化しているが)、韓国の儒教、正確には朱子学は『理』と『気』の掛合いの中で「巨大な理の道徳」を奪い合う「正・反・合」のプロセスで、政治、社会、文化あらゆる分野に力を及ぼしているのが実際ではないのかと考える。
したがって、竹島日本海の呼び名、教科書問題については相当の高い次元の理論を日本が用意しないとなかなか納得はしない予感がするが。「高邁な理」が見つかれば解決するかもしれないが。

 本書で「儒教社会のインテリは死ぬまで道徳と戦う格闘家なのだ」著者は述べている。「どういうことか」と注意深く読むと、新しい「理」を引っさげて登場する勢力はこれまでの常識とは違う革新の儒教を展開する。お互い言葉で創る堅固な「理」。極端ではあるが昨日まで大統領がその後死刑囚になったり、金大中元大統領のように死刑囚が大統領になる韓国の「理」。
 この本を読み日本人は韓国を甘く見ているのではと考える。戦後60年、韓国の底流に流れ、国民のバックボーンの「理と気」の朱子学。その結果冒頭の今日の経済の彼・我の姿である。大負けである。

 朝日新聞第1日曜日 第3日曜日朝刊に「GLOBE」という別冊が入る。その中に「ソウルの書店から」の記事が時折掲載される。書店に見る「理と気」の現実。隣国韓国の研究にこの記事のこれからの内容が楽しみである。

 昨年11月に、一橋大学創立135周年記念且つ、国立移転80周年の記念式典があり、講演会が行われた。その中で創立者渋澤栄一について現代の行き詰まった社会の再構築に渋澤栄一の思想の紹介が取上げられていた。筆者のところに毎月玄孫である渋澤健氏より『論語と算盤』のメールが入る。

 明治に生きた渋澤栄一の『理と気』。読んで学ぶものは沢山ある。(了)






(何冊かの韓国に関する書籍案内)

朝鮮民族を読み解く・北と南に共通するもの 
 古田博司 ちくま新書
韓国人の作法               
 金栄勲  集英社新書
街道をゆく・2・韓のくに紀行       
 司馬遼太郎 朝日新聞
儒教とは何か               
 加地伸行  中公新書
日本外交官韓国奮闘記           
 道上尚史  文春新書
在日韓国人の終焉             
 鄭大均   文春新書
大韓韓国の物語・韓国の国史教科書を書換よ 
 李栄薫
韓国のデジタルデモクラシー        
 玄武岩  集英社新書
百寺巡礼 朝鮮半島            
 五木寛之 講 談 社