2011年末に。経済界刊「時務を識る」北尾吉孝著2011・12刊

 関東以西で想定されていた「大地震」の到来と、逆に原発安全神話として信じられ、想定されていなかった「原発放射能汚染事故」の1年であった。目の前に自然に育まれ、生まれ育った故郷がありながら戻れない事実ほど悲惨なことはない。取り返すことの出来ない現実の姿である。
被災地域の復旧・復興・原発処理にこれから数十年の時間を要するだろうし、生態系が元を取り戻すのにそれ以上の歳月が必要といわれている。
それにしても対応は遅い。復興本部の設置の法律が成立したのはつい先月だった。復興本部がようやくと思っていると、収束宣言が出た。
 僅かずつ改革、改革といいながら、行きつ戻りつ進む政治より、いっそ、全体をリセットし直し、再生した方が改革するより早いかもしれない。「大阪維新の会」の躍進はそれを要求しているかもしれない。過大期待は禁物ではあるが。
 経済界も同じだ.いつまでも重厚長大産業の利益団体のトップが経団連を牛耳っている。先のブログ(2011-7-28)で「楽天」の経団連脱退にふれこう書いた。『・・・50代でも最近楽天の経営者が経団連を脱退した。大分我慢をしたのだろう。脱退賛成である。旧弊の組織を内部より改革することも重要だが、既存の組織とは違う、若い経営者が躍動的気分になる新組織を仲間と立ち上げて欲しいと期待している』と。

 標題の著者は,ソフトバンク・インベストメントホールデイングという投資会社の創業者であり、現在も尚、グループ全体の采配を行い、国内の新興企業だけでなく中国、インド、韓国、カンボジア、ロシア、ベトナムなどなどの国々の新興企業に投資、いまや日本のトップの投資会社の現役経営者であるが,同様の趣旨の考えが述べられてあった。
 標題の著書の『新しい日本を目指せ』というタイトルで『今の日本には経団連に代表される寄せ集めのような組織は不要ではないかと考えており、そのような組織を存続させ続けることとしてそれほど大きな意味はないと、捉えています。時代に逆行する組織はすべて不要であると考えております。世界的に視れば、例えば米国では経団連のような組織が、日本のように運営されているはずもなく、そのようなことをしているのは開発途上国、新興諸国が自国産業の売込みなどのためにデリゲーションを組んで海外に出かけているといった程度である。日本もデリゲーションを組んで訪中してみたりしていますが、なぜ日本人というのはそれほど団体行動が好きなのか良くわからない。』と(本書)。その後外食・流通団体が新組織立ち上げたようだ。いつまでも重厚長大産業の出番ではない。
 次に同様の観点から感動的な全面広告を読んだ。このような若者の経営者を発掘し育成していくシステムをむしろ経団連の『頭』は実施していくべきと考えるが。多忙で全面が文章だけの広告を読まなかったり、又読み落とした人のために要旨を書く。特に30代・40代。ここ20年就活で苦労の多かったこれらの世代には感じる部分あるのではないかと思うが。

日本経済新聞2011・11・1付朝刊全面広告。
『グリー』という新興企業がある。『携帯交流サイト〔SNS〕運営事業』。交流サイト内で仲間と一緒になり複数の端末を使いゲームを楽しむ。国内では携帯電話、スマートフォンの普及に伴い利用が急拡大。設立2004・12月。上場2008・12月。ネット業界ではヤフー・楽天に続き3位グループに位置する。時価総額一時5000億とも。

代表取締役田中良和社長の文章。紹介する。

『1977生まれ、34歳。自身の過ごした中高時代の1990年代は,成長時代の体験なく、横這いと下り坂を繰り返す、日々縮小する日本しか知らない世代だった。努力しても意味なく、いかに楽をして過ごすかがすべてで、何も変わらないから頑張るだけ馬鹿らしく、悲観的で、シニカルであることが賢いことであり、建設的、前向きが愚かで、社会、他人の批判と批評を繰り返し問題点挙げるものの、解決の行動するわけでもない、という社会に「違和感」を感じたという。

 その中で未来の社会を創造するそのための努力,挑戦を厭わない「シリコンバレーの哲学・価値観」に魅入り、進むべき道を指し示してもらった。「グリー」は当初、インターネットを通じ世の中を変えられるとの考えで、自分が教えをもらったことを、ただやっているだけという個人の趣味としてボランテアとしてスタートした。周囲より、なぜ、そのような無意味のことをするのか、何の利益があるのかとの忠告を幾度ともなく受けた、という。その後資金的にも、時間的にも個人の出来る範囲を超え,寝られずに 逃げ出したかったことは幾度もあった。がしかし、多くの人にサイトが使われているから無くす訳には行かなく、会社を創り踏ん張ったという。
 新しいことに挑戦すれば何もしない人の何倍もの多くの失敗を重ねます。他の人と違うことをやれば、馬鹿だ、無駄だと絶対に成功しないと毎日のように言われる(日本)。それでも続けた誰かだけが新しい何かを生み出して来た。そういう人々が世の中を変え今の社会や生活を生み出してきた。』・・・と。

 筆者はこの全面広告を一気に読み終えた。こういう若い人が今の日本にいる、と感動した。

「時務を識る」とは時代に対する深い洞察力を持ち、時代時代の流れをしっかり掴みその中で何をすべきかを知る、という「三国志」の中にある司馬徽(キ)の言葉という。著者は現役実業の傍らSBI大学院大学の学長でもある。筆者は年何回かのIR講演会に参加している。この大学院大学は経営人間学としての「朱子学」の講座を持っている。めずらしい。1講座8万円。朱子学の『理と気』に興味を持っているので時間的にも余裕が出来たら単位などは別に講義に出席したいと考えている。6世紀ごろ出来たといわれる初等教育の「千字文」同じく宋代末より普及した「三字経」等の初等教育教科書。その後,朱子が弟子に纏めさせたといわれる『小学』に始まり、「大学・中庸・論語孟子」の『四書』、更に進んで「易経書経詩経礼記・春秋左氏伝」の『五経』の儒学の根本聖典。これを学ぶには人生の時間が少ないが。
 著者は又、儒学に関連づけた経営書も多く書いている。その中で「森信三に学ぶ人間学」という著書がある。森信三の著書を復刻し若い人に広めたいとも著書で述べている。森信三:明治29年愛知県知多の生まれ。京都大学西田幾多郎に学んだ哲学者であり、平成4年11月97歳で亡くなった。80歳で我々日本人の立場から考えた東洋と西洋を繋ぐ世界観と人生観を統一しあるべき姿を求めたといわれる「全一学」という著書の執筆に取り掛かり90歳近くで完成させた。『日本人として「脊梁骨(せきりょうこつ)」を立て若い人自らの主体性を確立せよ』と説いた。「物の世界が過度に繁栄すれば心の世界はそれと平行して進歩かというと、そうではない。物質文化は絶対に後退する事がないのに対し精神文化は進歩と退歩を繰り返す。何故なら、物質文化は積み重ねることが出来るが精神文化は人間誰しも死を迎え地上より消えるからという。

「脊梁骨の人間学」がないと現在の民主党政権だ。期待した民主党のマニュフェストは総崩れ。沖縄発言、増税前の諸制度の改革が一向に見えない。年金制度改革、歳入庁新設、議員削減、最後は八ツ場ダム。選んだ側の責任、つまり選挙民の責任大なり.いまや自らが自らの責任で処世する時代だ。人間は自らの使命に気づいて真の生を送ることが出来るという.『自ら鍛えていくしか仕方ない』という認識は森信三に通じるし
グリーの34歳田中良和社長の如くではなかろうか。老いては子に従え、というが、良いことは若者であれ学ばねばならない。(了)