平成23年8月・残暑お見舞い

 既に8月末。昨年の猛暑に比較しやや涼しい。蝉も『この夏最後だ』と言わんばかりに鳴いている。

 2年前の夏に政権交代した民主党が3度目の代表選を昨日実施した。内部の権力闘争。テレビを見ていて、当選発表をする瞬間、当選した候補者の1人隣の席に座っていた反対陣営の幹部の1人が、拍手するでもなし、笑みも無く,心はどうでもこれから自分たちのリーダーになる同志に、表面上の祝意の表情を見せることも無く,「全く我には無関係」と言う表情で「無関係の方向」を見つめていた。現在の民主党の深層を見るようで「おぞましい」画像だった。

 結果が日本の政治文化を「( )詣で」とか、「( )傀儡政権」というかっての自民党に見られた時代に逆戻りしない結果となり、「民主党の良識があと僅かのところで働いたか」と安堵したが、逆の結果になれば、国民から完全に見放されたことになったろう。もっともかなり見放されているとは思うが。

 それにしてもこの2年間、大きく期待が外れた。がしかし選んだのは国民である。2年前の2009・8・31のブログに半藤一利が「昭和史」の中で述べた日本人の5つの特徴を書いた。

 1.国民的熱狂の習性あり。流されてはいけない。
 2.最大の危機に於いて、抽象的観念を好み、具体的理性的   方法論を検討しない。
 3.タコツボ型社会の小集団主義の弊害として、他の貴重な   情報を認めない。
 4.国際的常識を理解せず、主観的独善に陥る。
 5.対症療法的短兵急的発想を展開する。

小泉時代の総選挙」、2年前の「民主党圧勝の総選挙」は「1」に、鳩山時代の「沖縄普天間問題」は「2」に、「排出権問題」は「4」に、「福島原発問題」は「2・3・4」に、菅時代は特に「5」がひどかった。

「国家戦略室」の機能はどうなったんだろうか。大いに関心興味を持ったものだが。

 最後の挽回のチャンスを地味で泥臭い新しいリーダー「野田佳彦首相」に期待したい。

PHP「なぜ日本は『大東亜戦争』を戦ったのか―アジア主義者の夢と挫折」田原総一朗著2011・4月刊 

今日の日本の30代 40代の生き方に感心させられることが多くなっている。国立大医学部卒業後外務省へ医務官として入省、その後退職し アフリカ・スーダン共和国で医療関係のNPO法人ロシナンテス」を立ち上げ医療活動に取り組み、現地の人々から尊敬されている日本人。国内の公立大学卒業後、派遣、契約社員に見切りをつけカンボジアアンコールワットの町でクッキー製造・販売の「クメール・アンコールフーズ」を30代で起業し、軌道に乗せ現地人を採用、教育し地域に貢献している女性社長。50代でも最近「楽天」の経営者が経団連を脱退した。大分我慢したのだろう。脱退賛成である。旧弊の組織を内部から改革することも重要だが、既存の組織とは違う若い経営者が躍動的気分になる新組織を仲間と立ち上げて欲しいと期待している。「なでしこジャパン」の粘りの優勝を我が事のように喜ぶ男女サポーターを見て社会が一つ変わるような予感がする。
 若い企業に係わらず企業のアジア進出が加速している。アジア市場に経営の基盤を拡げる戦略をとるか、否かでその企業の業績の明暗が別れる。これからの日本人の人生の「本舞台」は浮き草になってはいけないが、日本人としての意識をしっかり自覚し、男性にしろ、女性にしろアジアを含めた海外で自分の人生を切り開くことも選択の1つである。予想しない国際変動があるので自己の資産管理は十分研究して。

 今日のアジアでの日本人の活躍を考える時、半世紀以上遡る中国を舞台とする日本とアジアの歴史に関心が飛ぶ。

終戦記念日」が近い。この「セレモニー」を見て毎年思う。建前は「2度と戦争はしない、と誓い、犠牲者のご冥福を祈る」と。「なぜに戦争を始めたか、戦争に突入せざるを得なかったのは何故なのか、どこからおかしくなり失敗コースに入り込んだのか」戦後66年、全部とは言わないが曖昧のまま流してきた部分を感ずる。米軍基地問題で沖縄に負担を強いている事実はその1つであろう。現民主党政権も当初威勢が良かったが腰砕けになったようだ。

 著者はこの戦争を『なぜ戦ったか』東大名誉教授 近代史研究の「坂野潤治氏」の意見を踏まえたりしながら本書でメスを入れている。

 本書で近代日本の迷走の起点は1937年(昭和12年)7月の「盧溝橋事件」だろうと述べている。遡る6年前1931年9月には「柳条湖事件」「満州事変」が起こった。帝国主義の時代である。国力以上に満州拡大路線を主張する拡大論者を抑えられず、その結果「盧溝橋事件」に至った。些細な物事と思われた事件が国を挙げて総力戦になった経緯は本書に詳しい。?盧溝橋事件から太平洋戦争に至る日本政治の特色は混迷の一語に尽きると述べている。負けるまで8年。明治維新より満州事変まで64年。それまでの国のリーダーなり政治家が着実に積み上げてきた国力の威信と言うものをわずか7・8年で崩壊させてしまった。現在の政治状況に重なるところが多い。

 この時代,陰に陽に動いた人物が本書で取上げられている。これら人物に違和感ないし抵抗ある方は多いだろう。松井岩根、大川周明頭山満北一輝。松井岩根を除き、表社会の功績より、裏工作,扇動者として歴史上見られている人物である。個別の詳述は他の著書に多いのでここでは省くが1・2点感想を書きたい。

 本書で取上げられた「北一輝」は相当恵まれた経済環境の中で青年時代、知力を磨く時間はあり過ぎるほどあったようだ。約100年前に発表した「国体論」構想には驚きつつも,より現実的改革に即した思想体系が築けなかったのか、特に「軍隊を国家改造の運営主体とする」軍隊重視の思想はその後の軍国主義の結果が物語っている。青年軍人の2・26事件(1936年)に係わり扇動したことは歴史の示す通り。

 代々医者の家系に生まれた大川周明も又知力を磨くにふさわしい環境だった。山形より九州熊本の第五高等学校に学んだ。この選択は「私利より公益」を重視した横井小楠の思想にあこがれたと言う。横井小楠と言えば 小楠四天王と言われた安場保和が戊辰戦争後明治政府の行政官として仙台に赴任したとき、賊軍と言われた岩手水沢藩の後藤新平少年をその才能、気質を見抜き抜擢したことは後藤新平のところ(2009・5・7ブログ)で書いた。大川も又頭脳明晰で志が高かったのだろう、北一輝とは相性が合わなかったようだが1932年の5・15事件を扇動した。本書では名前ほど読後の記憶に残らない。

 陰に陽に画策した人物の中でアジア独立のために国内でインド・ビハリーボースやへーラムバ・グプタ 中国の孫文他これらアジアの活動家を支援した頭山満。表の歴史では完全なる「無冠の人」であるが旧福岡藩士としての精神が底流にあったかどうか、不気味なくらいの力を具備していたようだ。このような人物研究は面白い。

 頭山、大川、北。3人とも満州拡大路線論者、大東亜戦争推進論者と理解していたが 本書によるとこれら3人はむしろ戦争になった場合世界より日本は孤立すると判断し、アジアとともに生きる日本を重視し大東亜戦争には反対だったという。共産中国になる前の中華民国の処方で若干の異論はあったようである。政治はむしろ戦争に流れた。

 もっとも同時代 対立軸に、日本の財政力、国力を計算し満州国拡大論でない「小日本主義」を唱えた「石橋湛山」や、少し時代は遡るが日露戦争時からその後の日本に対する警世の人物として、戊辰戦争会津藩士の子孫で苦学しながらアメリイエール大学教授になった「朝河貫一」などの見識の高い良識派は存在した。彼は、その時代日本が国際新秩序を領導すべき立場にいながら「時代遅れの帝国主義に取り付かれた日露戦争後の日本の未来志向の欠如」を警告したが、当時の軍閥政治は取上げなかった。その後の日本は朝河の警告した通りとなった。これらの良識派といわれる人々の中に、今日アジアの中の日本人、世界の中の日本人としての生き方に示唆を与える意見は多いし、この時代の伝記から学ぶことが多いのではないだろうか。参考に2・3古い本を書いておきたい。「最後の日本人・朝河貫一の生涯 阿部善雄著」「朝河貫一その時代 矢吹 晋著」「戦う石橋湛山半藤一利著」等等。

 東日本震災後の日本の再建の思想が震災前と同じ復旧思想でなく、GDP成長のみがすべてでない新しい復興思想を掲げ、グローバル経済で競争、協力関係にあるアジアをリードしながら、共存、共栄の道を考える点で本書は一読に値する。 被災地の復興は 当面自らの生活の建て直しを固め、ゆくゆくは世界市場で勝負し、シエアーを獲得する商品開発、技術開発を目指してゆく高い志を掲げて欲しい。国内市場、首都圏が『舞台』でない。「終戦記念日」を前にして日本の方向考えたい。

「日本汽水紀行ー森は海の恋人の世界をたずねて」畠山 重篤著・文芸春秋・2007・6刊

 今日は震災後丁度3ケ月目。

4月初め、被災地を訪れ、「言葉」がなかった。
ブッダの「掌」のなかで「生かされている」と実感した。生死は紙一重。生死は田んぼの細いあぜ道一本の差と実感した。

2ケ月ブログ休んだ。頭の整理を行った。

前回3月末のブログでは、震災直後より、その思いを強くし「2つの現実」と言う表現を使った。1つは、カンボジア・シエムリアップで見た、裸足の少年の姿、裸で水遊びの少年達、又ヒンズー寺院で見た木陰の下で熱心に英語を勉強し大学受験を目指していた青年の姿は60年前の日本の風景、もう1つは経済成長し今日の物質豊かな日本の中で突然起こった巨大地震津波の崩壊の跡。この2つの現実の間にあるもの、それは戦後日本が掲げた平和で、豊かな社会を追求、そのために科学技術を高め産業を振興していった国家目標が途中からずれ始め、根本から問い直さねばならないと確信したことだ。それは又過去60年ー70年にわたり積み重ねてきた日本人の生き方に同様に反省を迫ってきている。3月11日を境に、日本人の意識が「不連続」に変化してきていると感じ始めている。

 内田樹著「日本辺境論」はその60年ー70年の生き方の反省に、思いもつかない角度からヒントをくれた。永年積もった物理的「辺境」の意識のDNA.同じ漢字文化圏民族でありながら、中国、韓国とは違いすべてを飲み込みながらも咀嚼できないものは吐きだす。「宦官」等導入しなかった。

 大地震を何百年ぶりという大袈裟に表現する人もいる。事実そうなのだろう。この天災のスパンの何百年に比し、今日の世界は中国にしろ辛亥革命から100年。それまでは儒教・仏教・道教を中心にし2000年続いた皇帝制(君主制)であった。韓国にしても500年続いた儒教中心の李氏朝鮮が倒れその後大韓帝国韓国併合時代を通算しても110年あまりである。日本も明治維新から150年近くにはなるが明治の基礎を作った時代を除けばやはり100年くらいである。天災のスパンに比し100年は短いし、思想の変革は改革可能だ。事実共産ソビエトは80年で消滅した。

 日本の戦後の60年あまりは やはりアメリカナイズの物質主義重視の社会であり、最後にはリーマンショックで代表された市場原理主義と言う今日の問題多い社会の元凶となった。北ヨーロッパに見られる福祉国家がとるべき道である。経済成長と両立の課題は残るが。

 津波で自然を破壊された三陸をはじめとする東日本。
自然に包まれた生活、遠くを見つめる力がなくなると人間が衰弱すると言う。
 標題の書は「森は海の恋人」など植樹を通じて海を豊かにする運動を長く続けてきた三陸気仙沼の牡蠣養殖のプロでありながらこの本に見られるごとく、叙情文学に近いすばらしい文章を書く日本エッセイスト・クラブ受賞の作家でもある。今回の津波でご母堂をなくされたと報道を通じて知ったが 上野の講演会で語られた「スペインのガリシア地方は雨が多く森林が多い。16世紀レバントの海戦で活躍した無敵艦隊の船はこのガリシア地方の木材で製造された・・・」と博識・博学の方でもある。畠山先生は70歳近くで津波で破壊された「森は海の恋人」運動に再挑戦という報道を聞き、60代、70代の三陸の人達は、何億円も掛けて復興のため再挑戦という、このようなニュースを聞くと、全国から「頑張って」と三陸にエールを送っているが 逆に三陸の60代・70代の再挑戦のエネルギーを 首都圏でやや仕事に疲れ、定年を待ちわびている方たちは学ばねばならないと、「異業種交流会」での会合で話をしている。あわせて「頑張ろうニッポン」になるのかもしれない。

平成23年3月・2つの現実・アンコールの如く忘れ去られないように。

 このブログで何度かインド、バングラデッシュ等途上国、途上地域のテーマを取上げた。グローバル化で成長するインド、精神の輸出国の磁場と言われる多宗教国家インド。グローバル化でどう変貌していくか、筆者には関心の大きいテーマである。

 今月はじめ韓国で仕事する長男の案内でカンボジアアンコールワットを旅行した。現地のピース・イン・ツアーに勤務する日本語を独学で勉強したと言う親切なカンボジア人「モニさん」のガイドでこの世界遺産を堪能した。帰国して、再度の訪問願望に駆られているが。

 数年前 東京で「アンコール展」が開催され見学したが、その中で『ジャヤヴァルマン7世』の唇が厚く、耳が大きく しかも賢者そのものの肖像画に魅了され手に入れ書斎に飾った。JICAに勤務し海外飛び回っている甥の話もあり、長い間機会があったらいつか訪れてみたいと「念」じていた。行く機会無いだろうと思っていたので、よもや突然の長男の案内は心底うれしかった。

 アンコール最盛期には遠く、ラオス、タイの一部にまでをも勢力化に置き、政治、経済、宗教の中心地であったアンコール。メコン川を遡り,トンレサップ湖を経て、水運活用の北限に立地のこの王国は、12世紀から13世紀仏教に篤い信仰をもった『ジャヤヴァルマン7世』に指導され最盛期になった。おそらく当時先進国だったのだろうと長男と語り乍らこの王国が何故に滅亡し、百数十年前に発見されるまで長く地上から忘れ去られたのか、旅行中、「夢想」の霧の中の状態だった。

 事実、旅行後アンコール王朝史に詳しい上智大学石澤良昭先生の著書を読むと1000年頃の時代の世界の人口は2.5億人で最大都市1位がスペイン・コルドバの45万人、アンコール都城は約20万人で4位だったという。更に140年後の最盛期には50万人だったという。

 アンコールのあるシェムリアップの町を歩き、何十年前かにタイムスリップの錯覚を覚え 目を見開いた。全部ではないが いまだはだしで歩く少年少女,暑い乾期のこの季節、素っ裸になり川で水遊びにふける少年たち、そこには数十年前の日本の田舎の姿があった。

 アンコールワットより更に20キロ程離れた郊外のヒンズー寺院を訪れた時、暑い日中大きな木の下でベンチに腰掛け熱心に英語を勉強する利口そうな青年に会った。質問したら、大学に進んで「化学」を勉強したいと語ってくれた。そこにも冷房も無く木陰を利用し、まじめに取り組む何十年か前の日本の青年の姿がダブって見えた。

 旅行後「巨大地震」が発生した。

突然の災害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。
人生の癒しの里、少年時代の思い出の土地、自分のふるさとを「津波」で流された人達にかける『言葉』がない。言葉の無力、反対に、言葉の重みを覚える。一瞬にして何十年前に戻ったようだ。永年積み上げてきた努力が一瞬にして崩壊した。カンボジアで見たタイムスリップでない。現実である。今の現実を生きてゆかねばならない被災者の人達。余震の中での復旧作業に励む自衛隊、行政、NPOの人達。海外からの支援団体の人達。今はそれどころでないと思うのだが、20年ー30年先の都市造りを提言する知識人、マスコミの人達。

 大震災直後の東北の太平洋沿岸地域の人々の取られた行動は、日本人全体に対し,海外メデイアの目に、その規律性、秩序性を賛美するという反響を呼んだ。並んで援助物資を受け取る行列の姿、誰にも文句を言わず,天命を甘受するような、何か宗教的で、ストイックなものをその映像から受ける。筆者は、このストイックな姿に、復興に対する、底知れぬ東北人のエネルギーを感じている。どこかの知事が「天罰」と言う不謹慎な言葉を吐いた。アメリカナイズの物質主義への警鐘を言いたかったのだろう。関東大震災時にも「天譴論」が流行った。当時の大戦景気による成金、悪徳商人や下らぬ政争の政治家に対する鉄槌が下ったと言うことだった。その点は現在も同じ状況である。

 このブログで2008・12・26に書いた。被災地域の東北宮城・登米に国指定の重要文化財登米高等尋常小学校』がある。この教室(被害が無かったかどうか案じているが)に掛けてあった『自力更生』と言う四文字の言葉の額(ガク)。筆者はこの額を見て驚いた。少年時代筆者の生家にも掛けてあった。おそらくこの地域の人々はこの四文字の言葉が明治時代に学んだ曾祖父、祖父の祖先から代々子孫に受け継いで来ている「血」と言うか「DNA」ではないだろうか。着実に自力で人生・仕事を切り開く人達。古くは盛岡で生まれた新渡戸稲造の祖父新渡戸伝の三本木原野開墾の悪戦苦闘の歴史がある。それだけにストイックな姿に写るのだろうか。それだけにこの地域の大震災はいたましい。復興にはこの言葉に加え政治がより目線を低くし、丸無げでなく細かく生活を支援していくに尽きる。今はただ、被災避難の人達への物心両面の心配りだろう。支援がブームでなく10年20年の息の長い支援になりそうだ。この支援を通じ、日本が歩んできた暮らしぶりを見直し、弱肉強食の市場経済の弊害をきっぱり否定し、雑に流してきたこれまでを1回ここで見直すことはこの災難を乗り越えていく「底力・エネルギー」になるのかもしれない。『自力更生』の言葉、改めてかみ締めたい。

英治出版「グラミンフォンという奇跡」ニコラス・p・サリバン著 東方雅美・渡部典子訳(2007・7・20刊)

おめでとうございます。

 新年なのでいい話題を取上げたい。

 「タイガーマスク現象」が全国で生じている。小学校に入学する児童に匿名で「ランドセル」を贈るというこの「善意」を否定する人はいない。なかには 社会を斜めから見て「偽善」と言い 批判する「輩」も昨今の社会いると思うが、斯様なことはめったに出来ることではない。未だ現役の方にしろ、現役引退の方にしろ、将来への経済的な不安や高齢化の進展のなか、孤児施設へ匿名で行うこの姿は 皆が、自分だけのことだけでなく、周りのことも、真剣に考えている日本は、いい国だと海外で仕事に取り組んでいる方から、メールを頂戴した。

 一昨年末(2009・12月)このブログで希望をこめて「時代と価値体系が確実に変わりつつある。」と書いた。昨年8月、以前金融業界に身を置いた者として感動した「TV番組」を視た。

 「栃迫篤昌(とちさこあつまさ)氏」(とちは木ヘンに方)
  マイクロファイナンス・インターナショナル・コーポレション(MIFC)社長。

 番組では約30年前大手都銀入行、メキシコの地方都市をはじめペルー、エクアドルに勤務、初めて貧困の現実に出会う。当時銀行が相手をするのは、富裕層や国の政府機関。彼は自問したそうだ。「どうして貧しい人を助ける金融は無いのか?」

 2003年50歳で中途退職しアメリカに渡り中南米の移民労働者のために、安いコストの「送金システム」を開発、起業し、ビジネスとして成功させている。その日暮らしの移民労働者に家や車を買える道を拓いた。送金手数料は同業の10分の1だそうだ。常識といわれる「カネのあるところに資金が流れる。」とは180度異なる。
 中南米の底辺といわれる人々にカネという血液を流し循環させる。しかも驚いたことに融資する条件が、母国の家族への送金履歴だという。まじめに定期的に送金する事実は如実にその人物像を語るものとして評価している。送金された母国の家族は、その資金で牛を買い牛乳を搾り、子牛を売り生計をたて、家、車を買う。ザット以上のような内容であった。

 この時代、金融の世界で見られたのは、2008年秋の「リーマン・ショック」を引き起こしたアメリカのサブプライムローン投資銀行に見られる弱肉強食の仕事である。栃迫氏本人の生き方が結果として自然そのような形になったと思うのだが「BOP(ボトム・オブ・ザ・ピラミッド)ビジネス」に人生を賭ける。同じ金融出身としてこのような道を現役後歩む日本人もいるのかと,胸が熱くなった。気のせいか先月取上げた「佐々井秀嶺僧」に表情が似ている。

 標題の「著書」はまさに栃迫氏の「バングラデッシュ版」と言ったら無礼とお叱りを受けるかも知れないが、移民としてアメリカに渡り、欧米の金融業界で築いた前途有望なキャリアを捨て携帯電話事業を通じて祖国の貧困の問題に挑戦した記録である。

 「グラミンフォン」を創業した男。「イクバル・カデイーア」。かってインドのベンガル州の一部だった東パキスタンで生まれた。西パキスタンで使われるウルドウ語の「東パキスタン」への公用語「化」への反発がバングラデッシュの独立戦争となる。高校に入る前での寄宿学校の修了試験では10万人中上位10位であったという。頭脳明晰だったのだろう。100万人とも300万人ともといわれる虐殺のバングラデッシュを逃れ1976年 17歳で移民となり、アメリカに渡る。アメリカの大学を受験する際の共通テスト「SAT」で高い成績を上げ、ウオルドーフカレッジからミネソタ州のガスタバス・アドルファス大学で学び、1983年フィラデルフィアのスワスモアカレッジでエンジニアの学位をとる。その後2年の世界銀行勤務。1985年ペンシルベニア大学ウォートンスクールの博士課程で「デシジョンサイエンス」を学び、ベンチャーキャピタリストの仕事に就いた。そしてその後アメリカにおける地位を捨て1994年36歳の時 祖国の貧困の問題解決のためバングラデッシュに戻る。

 一方、2006年ノーベル平和賞を受賞した「ムハマド・ユヌス」は1974年アメリカの大学の経済学の学者の道を捨て バングラデッシュに戻り数年の貧困地域での活動後、1983年マイクロファイナンスを中心とした「グラミン銀行」を設立した。

 カデイーアが1993年バングラデッシュで祖国を携帯電話による貧困脱出の仕事を取り組み始めた頃、ユヌスの「グラミン銀行」は10年の実績を先輩として積んでいた。カデイーアは創業の事業資金調達のため 北欧 アメリカ 日本等の投資家を回り歩く。
 本書は「グラミン銀行」のユヌス総裁との「縁」を結びながら 農村の女性たちが起業を通じて経済的に自立できるように社会のシステムを構築する「グラミンフォン」の創業の苦闘記録である。

 その後カデイーアは科学・教育・経済開発の分野で優れた業績を上げたバングラ市民をたたえるバングラ最大の権威ある賞「SEEDアワード」を12番目で受賞した。初代受賞者は「ムハマド・ユヌス」である。

 ムハマド・ユヌス氏がノーベル平和賞受賞してから5年経った。

 貧困や環境の悪化といった社会問題を改善しつつ利益を生み出す「ソーシャルビジネス」(社会的事業)は次第に拡大しつつある。年末の記事に「JICA]がアジア・アフリカの低所得層向けビジネスの事業化支援を本格化するとの報道が出た。昨年「グラミン銀行」は九州大学と「ソーシャルビジネス」を支援する財団の設立を行ったり 事業会社では「ユニクロ」「雪国まいたけ」との提携も進展、「フランス・ダノン社」「ドイツ・アデイダス」など欧米の大企業との提携はもはや既に古い話題である。「万一、ダノンやユニクロが社会的事業から撤退しても貧困層の自立を促す商品が生活に入り込んでいれば、その商品を作りたいという第2 第3の企業が必ず出てくる。」というユヌスの記事を読んだ。彼の哲学『施しモノは独立心を奪い去り、貧困を継続させる。』明らかに時代と価値体系が確実に変わりつつある。

 年末から年始にかけ 30年前に読んだ司馬遼太郎坂の上の雲」を再読した。100年前の日本人の生き方。栃迫氏のような日本人の生き方。佐々井僧のごとき日本人の生き方。浮き草にならないようグローバル経済の中で日本人としての軸を持ち、外から日本人を見つめるグローバルな生き方をする努力。同時に2国籍を持ちグローバル社会に生きるこれからの若い人達。発想が萎縮しては生き方自体も萎縮する。年代問わず。(了)
 

集英社新書「必生 闘う仏教」佐々井秀嶺著(2010・10刊)を読む。

 約5年前の日経新聞夕刊(2006・1・26) ヒンドー教のインドで、バンテージー(上人)ササイと呼ばれ、カースト最下層の人々の先頭に立って仏教の布教活動をしているという日本人の紹介記事が出た。どのような生き方をしているのだろうと興味を持っていたが、最近著者による「必生 闘う仏教」が出版され早速一読した。

 9月のブログ「インド厄介な経済大国」で取上げたインド多宗教国家の現況。本書はその中で圧倒的ヒンドー教徒の多い社会で、ヒンドー教では人間として認められない、「アウトカースト」という「不可触民」と呼ばれる民衆のため働いている日本人仏教指導者の思想,行動の本である。著者はイスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒ジャイナ教徒などマイノリテイ・コミュニテイのなかで 2003年インド政府よりこれまでチベット仏教徒しか選ばれなかった
「少数者委員会仏教徒代表」に任命された。
インド国民10億人中「アウトカースト」からの仏教徒は公表1千万人に対し実質1億5千万人位という。公表数字のイスラム教徒とほぼ同じ数である。

 筆者は時折「仏法法座」に参加している。
「安寧、安らぎ」という宗教心の言葉に対し、「闘う」という激しい言葉、宗教心と180度反対であるような言葉。著者は「ヒンドー教で最下層民衆に『右の頬を打たれたら左を』と言っていたら虫けらのように踏み潰されてしまう。そこから解放するには『慈悲心による金剛の大怒』これが闘う仏教の精神と本書で述べているが。

 インドを旅する日本人仏教徒から受ける印象について語っている。「日本という小さいな国の中で、仏教が小さな宗派に別れ、又小さな我見にとらわれ、やれこちらが正しい、やれそちらは駄目だと互いにそっぽを向き合っているようでは、もはや伝統的宗派は一般国民から見放されるだけでしょう。すべての日本仏教が宗派を超えて話し合い、実際の社会問題に対する統一見解と対策、国民に向かい明示するべきではないでしょうか」と。(本書)

 本書読了後の翌日、朝日新聞(2010・12・16)が「インド貧農下克上・貧農が出稼ぎで農地買収・カースト上位の地主に反抗・選挙でも存在感を」と報じた。インド社会も進化してきている。

 仏教界はともあれ 『自身の宗教心の練磨を・南無阿弥陀仏』。

筑摩書房「検察の正義」郷原信郎著(2009・9刊)を読む。

 今日の日本の抱える問題は「国家財政の破綻危惧」「雇用、格差問題」「少子高齢社会に向かう安心した社会保障のあり方」「教育のあり方」」「公務員制度並びに地方自治改革」などここ数年来懸念されてきた問題が一気に吹き出た感じだ。これらの重大問題に加え、日本の正義を守る「司法」の世界まで先の大阪地検特捜部による「厚労省郵便不正事件の証拠改竄問題」で露呈した。

 日本の検察にかかわる問題はこれまで多くの著書で疑問に思っていた。今回の「特捜検事の証拠改竄事件」はようやく表面化したか、という印象だ。
 検事の作成した調書に沿って被疑者が犯人に仕立てられていく状況は公認会計士細野祐二著「公認会計士VS特捜検察」(2007・11刊)に生々しく描かれている。シナリオに沿い40回以上もの公判リハーサルは読みながら小学生の頃の「学芸会」の練習を思い出した。学芸会でも40回のリハーサルはしない。「国策捜査」という言葉で有名になった、日ソ領土問題を外務省の一事務官で取り組んだ佐藤優著の「国家の罠」、更には元特捜検事の田中森一著「反転ー闇社会の守護神と呼ばれて」(2007・6刊)等には今回問題となっている検察の問題を予感させるものがある。何年か前TBSの番組で取上げる寸前で逮捕された「大阪高検公安部長の口封じ逮捕」といわれる事件もあった。

 司法の世界で何が「正義」なのか、を考える時、4・5年前から一人の「元検事」の意見、考え方に関心を持っている。その人の名は「郷原信郎氏」。今月11月はじめ「検察のあり方検討会議」の委員に選ばれた。

 特捜の検事には ①祖父、父親が元司法の世界で名を残したいわば毛並みのいいサラブレット検事。②東大法学部出身という現代の法曹エリート閥の検事.③地方大学出身のたたき上げのやり手の荒武者な検事の3類型があると以前読了した著書にあった。
この「郷原氏」は「コンプライアンス」「法令順守は日本を滅ぼす」「思考停止社会」など元検事らしからぬ著書を書いているので筆者は興味を持って今日に至っているが。

 経歴を概括すると元々最初から検事になろうとしたのでなく法律とは遠い東大理学部卒業、一時鉱山地質技師として鉱山会社に入社したという。このようなタイプの人間に限っていい仕事をし、人を納得させる何かを持っているようだ。1年余後に鉱山会社を退職し、独学で司法試験に挑戦、合格、当初は弁護士志望であったが、若い理系出身の検事が少ないということで(この点著書のまま)意に反し検事に任官となり、東京地検公安部、特捜部、広島地検で仕事、又 公取委事務局、法務省法務総合研究所独禁法違反の研究、犯罪白書の執筆、経済犯罪に対する制裁制度の研究に没頭した。検事の本流を歩いたようでそうでもないような印象をもつ。最後は長崎地検次席検事として時の政府与党自民党長崎県連幹事長を公職選挙法違反で逮捕、起訴する実績をあげる。これから類推すると上記3類型の②と③の間であろうか。

 本書を読み ここ数年頭の中でうやむやになっていた経済事件の整理がついた。(1).長銀事件最高裁逆転無罪判決。(2).キャッツ事件(粉飾決算公認会計士が関与したとされる事件)(3).ライブドア事件 (4).村上ファンド事件。

 筆者はこれらについて、(2)については先に述べた著書を読みこのようなことが実際行われているのかと驚愕したものである。(3)については不透明な判決のためその後のベンチャー企業家の活力の後退、又 (4)については、インサイダー取引の成立範囲を拡大させることで漠然とした印象を一般投資家に与え 関与しない方が安心という風潮を生み、むしろ投資活動の低調という大きな経済的影響を生じさせたのだと考えている。
 著者郷原氏はこれらの特捜検察のとった行動は「社会や経済の複雑化、多様化に検察の判断が十分に対応できていない。」と述べている。
 著者は本書の中で語る。少々長いが、引用する。(本書P156)

 『「検察の正義」をめぐる最大の問題は、検察が社会から注目を集めその存在意義を認められることに関して、大きな役割を果たしてきた特捜検察が、社会、経済、政治の環境変化に対応できず重大な危機に晒されていることである。
 元々社会の外縁部で社会からの逸脱者、異端者を排除する役割を果たしてきた刑事司法の中にあって,政界捜査、大型経済犯罪など社会の中心部に直接係わる事件の摘発を役割としてきた特捜検察は、本来の検察の業務の性格からすると特殊な存在であった。それが社会に違和感無く受け入れられ、しかも「検察の正義」の中心のように位置づけられてきたことは歴史的背景があった。1つは造船疑獄の指揮権発動が国民の多くに「政治の圧力」が「検察の正義」を阻んだ事例として認識され それ以降検察の正義は政治が介入してはならない「神聖不可侵」のように取り扱われる原因となった。
2つ目はロッキード事件。巨悪と対決する「日本最強の捜査機関」として特捜検察のイメージを完全に定着させた。

この歴史上の2つの事件が刑事司法全体において検察が正義を独占していること以上に、特捜の「正義」を神格化し、絶対不可侵のもののようにとらえる原因となった。』
更に続けて書いているが、この続きは本書を一読されたし。

 その後、驚くべきことに「指揮権発動」40年後当時の刑事局長が、行詰まった検察が撤退のため時の総理に持ちかけた「策略」との告白の事実があったということを著者は本書で書いている。その他の当時の証言もある。今日では真実を知らされていない一般の国民だけが「指揮権発動は悪」だとの「単純な常識」になっている。
 著者は法務大臣指揮権の行使について、『何らかの民主的意見の反映または、専門的見地からの検証を行うシステムの構築をし、高度の守秘義務を負う諮問機関が出した結論を尊重して法務大臣が最終的に指揮権を発動する枠組み』を提案している。タブーとする思考停止をせず、大いに議論することは筆者も大賛成だ。

 先に挙げた2つの遺産が特捜の直面のさまざまな問題の根本原因になっているように見える。特捜部の看板の威力で被疑者、関係者を押しつぶし、屈服させるやり方、政治家をやっつける「悪党退治的やり方」を経済事件に持ち込むやり方は所詮無理が来て、最終的にはわけのわからない判決となり、投資活動の停滞、若い有能なベンチャーリストの海外逃避になっているようだ。これでは若い経営者の活力をそぎ、経済成長する訳が無い。長銀事件は結局無罪となった。何が何でも有罪にしないとメンツが立たない状況が「証拠改竄事件」となり直前まで真面目に仕事に取り組んでいた人間がある日突然「被疑者」「犯人」となる。それを疑わないで報じるマスコミもマスコミだが。(たまに、ある記事について5年くらいの新聞を整理してみると、同じ新聞社で当初の記事が見事に違う記事になっていることがわかる。)それにしても証拠改竄までして犯人に仕立てられる国民は民主主義国家の国民なのだろうか。