「日本汽水紀行ー森は海の恋人の世界をたずねて」畠山 重篤著・文芸春秋・2007・6刊

 今日は震災後丁度3ケ月目。

4月初め、被災地を訪れ、「言葉」がなかった。
ブッダの「掌」のなかで「生かされている」と実感した。生死は紙一重。生死は田んぼの細いあぜ道一本の差と実感した。

2ケ月ブログ休んだ。頭の整理を行った。

前回3月末のブログでは、震災直後より、その思いを強くし「2つの現実」と言う表現を使った。1つは、カンボジア・シエムリアップで見た、裸足の少年の姿、裸で水遊びの少年達、又ヒンズー寺院で見た木陰の下で熱心に英語を勉強し大学受験を目指していた青年の姿は60年前の日本の風景、もう1つは経済成長し今日の物質豊かな日本の中で突然起こった巨大地震津波の崩壊の跡。この2つの現実の間にあるもの、それは戦後日本が掲げた平和で、豊かな社会を追求、そのために科学技術を高め産業を振興していった国家目標が途中からずれ始め、根本から問い直さねばならないと確信したことだ。それは又過去60年ー70年にわたり積み重ねてきた日本人の生き方に同様に反省を迫ってきている。3月11日を境に、日本人の意識が「不連続」に変化してきていると感じ始めている。

 内田樹著「日本辺境論」はその60年ー70年の生き方の反省に、思いもつかない角度からヒントをくれた。永年積もった物理的「辺境」の意識のDNA.同じ漢字文化圏民族でありながら、中国、韓国とは違いすべてを飲み込みながらも咀嚼できないものは吐きだす。「宦官」等導入しなかった。

 大地震を何百年ぶりという大袈裟に表現する人もいる。事実そうなのだろう。この天災のスパンの何百年に比し、今日の世界は中国にしろ辛亥革命から100年。それまでは儒教・仏教・道教を中心にし2000年続いた皇帝制(君主制)であった。韓国にしても500年続いた儒教中心の李氏朝鮮が倒れその後大韓帝国韓国併合時代を通算しても110年あまりである。日本も明治維新から150年近くにはなるが明治の基礎を作った時代を除けばやはり100年くらいである。天災のスパンに比し100年は短いし、思想の変革は改革可能だ。事実共産ソビエトは80年で消滅した。

 日本の戦後の60年あまりは やはりアメリカナイズの物質主義重視の社会であり、最後にはリーマンショックで代表された市場原理主義と言う今日の問題多い社会の元凶となった。北ヨーロッパに見られる福祉国家がとるべき道である。経済成長と両立の課題は残るが。

 津波で自然を破壊された三陸をはじめとする東日本。
自然に包まれた生活、遠くを見つめる力がなくなると人間が衰弱すると言う。
 標題の書は「森は海の恋人」など植樹を通じて海を豊かにする運動を長く続けてきた三陸気仙沼の牡蠣養殖のプロでありながらこの本に見られるごとく、叙情文学に近いすばらしい文章を書く日本エッセイスト・クラブ受賞の作家でもある。今回の津波でご母堂をなくされたと報道を通じて知ったが 上野の講演会で語られた「スペインのガリシア地方は雨が多く森林が多い。16世紀レバントの海戦で活躍した無敵艦隊の船はこのガリシア地方の木材で製造された・・・」と博識・博学の方でもある。畠山先生は70歳近くで津波で破壊された「森は海の恋人」運動に再挑戦という報道を聞き、60代、70代の三陸の人達は、何億円も掛けて復興のため再挑戦という、このようなニュースを聞くと、全国から「頑張って」と三陸にエールを送っているが 逆に三陸の60代・70代の再挑戦のエネルギーを 首都圏でやや仕事に疲れ、定年を待ちわびている方たちは学ばねばならないと、「異業種交流会」での会合で話をしている。あわせて「頑張ろうニッポン」になるのかもしれない。