PHP「なぜ日本は『大東亜戦争』を戦ったのか―アジア主義者の夢と挫折」田原総一朗著2011・4月刊 

今日の日本の30代 40代の生き方に感心させられることが多くなっている。国立大医学部卒業後外務省へ医務官として入省、その後退職し アフリカ・スーダン共和国で医療関係のNPO法人ロシナンテス」を立ち上げ医療活動に取り組み、現地の人々から尊敬されている日本人。国内の公立大学卒業後、派遣、契約社員に見切りをつけカンボジアアンコールワットの町でクッキー製造・販売の「クメール・アンコールフーズ」を30代で起業し、軌道に乗せ現地人を採用、教育し地域に貢献している女性社長。50代でも最近「楽天」の経営者が経団連を脱退した。大分我慢したのだろう。脱退賛成である。旧弊の組織を内部から改革することも重要だが、既存の組織とは違う若い経営者が躍動的気分になる新組織を仲間と立ち上げて欲しいと期待している。「なでしこジャパン」の粘りの優勝を我が事のように喜ぶ男女サポーターを見て社会が一つ変わるような予感がする。
 若い企業に係わらず企業のアジア進出が加速している。アジア市場に経営の基盤を拡げる戦略をとるか、否かでその企業の業績の明暗が別れる。これからの日本人の人生の「本舞台」は浮き草になってはいけないが、日本人としての意識をしっかり自覚し、男性にしろ、女性にしろアジアを含めた海外で自分の人生を切り開くことも選択の1つである。予想しない国際変動があるので自己の資産管理は十分研究して。

 今日のアジアでの日本人の活躍を考える時、半世紀以上遡る中国を舞台とする日本とアジアの歴史に関心が飛ぶ。

終戦記念日」が近い。この「セレモニー」を見て毎年思う。建前は「2度と戦争はしない、と誓い、犠牲者のご冥福を祈る」と。「なぜに戦争を始めたか、戦争に突入せざるを得なかったのは何故なのか、どこからおかしくなり失敗コースに入り込んだのか」戦後66年、全部とは言わないが曖昧のまま流してきた部分を感ずる。米軍基地問題で沖縄に負担を強いている事実はその1つであろう。現民主党政権も当初威勢が良かったが腰砕けになったようだ。

 著者はこの戦争を『なぜ戦ったか』東大名誉教授 近代史研究の「坂野潤治氏」の意見を踏まえたりしながら本書でメスを入れている。

 本書で近代日本の迷走の起点は1937年(昭和12年)7月の「盧溝橋事件」だろうと述べている。遡る6年前1931年9月には「柳条湖事件」「満州事変」が起こった。帝国主義の時代である。国力以上に満州拡大路線を主張する拡大論者を抑えられず、その結果「盧溝橋事件」に至った。些細な物事と思われた事件が国を挙げて総力戦になった経緯は本書に詳しい。?盧溝橋事件から太平洋戦争に至る日本政治の特色は混迷の一語に尽きると述べている。負けるまで8年。明治維新より満州事変まで64年。それまでの国のリーダーなり政治家が着実に積み上げてきた国力の威信と言うものをわずか7・8年で崩壊させてしまった。現在の政治状況に重なるところが多い。

 この時代,陰に陽に動いた人物が本書で取上げられている。これら人物に違和感ないし抵抗ある方は多いだろう。松井岩根、大川周明頭山満北一輝。松井岩根を除き、表社会の功績より、裏工作,扇動者として歴史上見られている人物である。個別の詳述は他の著書に多いのでここでは省くが1・2点感想を書きたい。

 本書で取上げられた「北一輝」は相当恵まれた経済環境の中で青年時代、知力を磨く時間はあり過ぎるほどあったようだ。約100年前に発表した「国体論」構想には驚きつつも,より現実的改革に即した思想体系が築けなかったのか、特に「軍隊を国家改造の運営主体とする」軍隊重視の思想はその後の軍国主義の結果が物語っている。青年軍人の2・26事件(1936年)に係わり扇動したことは歴史の示す通り。

 代々医者の家系に生まれた大川周明も又知力を磨くにふさわしい環境だった。山形より九州熊本の第五高等学校に学んだ。この選択は「私利より公益」を重視した横井小楠の思想にあこがれたと言う。横井小楠と言えば 小楠四天王と言われた安場保和が戊辰戦争後明治政府の行政官として仙台に赴任したとき、賊軍と言われた岩手水沢藩の後藤新平少年をその才能、気質を見抜き抜擢したことは後藤新平のところ(2009・5・7ブログ)で書いた。大川も又頭脳明晰で志が高かったのだろう、北一輝とは相性が合わなかったようだが1932年の5・15事件を扇動した。本書では名前ほど読後の記憶に残らない。

 陰に陽に画策した人物の中でアジア独立のために国内でインド・ビハリーボースやへーラムバ・グプタ 中国の孫文他これらアジアの活動家を支援した頭山満。表の歴史では完全なる「無冠の人」であるが旧福岡藩士としての精神が底流にあったかどうか、不気味なくらいの力を具備していたようだ。このような人物研究は面白い。

 頭山、大川、北。3人とも満州拡大路線論者、大東亜戦争推進論者と理解していたが 本書によるとこれら3人はむしろ戦争になった場合世界より日本は孤立すると判断し、アジアとともに生きる日本を重視し大東亜戦争には反対だったという。共産中国になる前の中華民国の処方で若干の異論はあったようである。政治はむしろ戦争に流れた。

 もっとも同時代 対立軸に、日本の財政力、国力を計算し満州国拡大論でない「小日本主義」を唱えた「石橋湛山」や、少し時代は遡るが日露戦争時からその後の日本に対する警世の人物として、戊辰戦争会津藩士の子孫で苦学しながらアメリイエール大学教授になった「朝河貫一」などの見識の高い良識派は存在した。彼は、その時代日本が国際新秩序を領導すべき立場にいながら「時代遅れの帝国主義に取り付かれた日露戦争後の日本の未来志向の欠如」を警告したが、当時の軍閥政治は取上げなかった。その後の日本は朝河の警告した通りとなった。これらの良識派といわれる人々の中に、今日アジアの中の日本人、世界の中の日本人としての生き方に示唆を与える意見は多いし、この時代の伝記から学ぶことが多いのではないだろうか。参考に2・3古い本を書いておきたい。「最後の日本人・朝河貫一の生涯 阿部善雄著」「朝河貫一その時代 矢吹 晋著」「戦う石橋湛山半藤一利著」等等。

 東日本震災後の日本の再建の思想が震災前と同じ復旧思想でなく、GDP成長のみがすべてでない新しい復興思想を掲げ、グローバル経済で競争、協力関係にあるアジアをリードしながら、共存、共栄の道を考える点で本書は一読に値する。 被災地の復興は 当面自らの生活の建て直しを固め、ゆくゆくは世界市場で勝負し、シエアーを獲得する商品開発、技術開発を目指してゆく高い志を掲げて欲しい。国内市場、首都圏が『舞台』でない。「終戦記念日」を前にして日本の方向考えたい。