平成23年3月・2つの現実・アンコールの如く忘れ去られないように。

 このブログで何度かインド、バングラデッシュ等途上国、途上地域のテーマを取上げた。グローバル化で成長するインド、精神の輸出国の磁場と言われる多宗教国家インド。グローバル化でどう変貌していくか、筆者には関心の大きいテーマである。

 今月はじめ韓国で仕事する長男の案内でカンボジアアンコールワットを旅行した。現地のピース・イン・ツアーに勤務する日本語を独学で勉強したと言う親切なカンボジア人「モニさん」のガイドでこの世界遺産を堪能した。帰国して、再度の訪問願望に駆られているが。

 数年前 東京で「アンコール展」が開催され見学したが、その中で『ジャヤヴァルマン7世』の唇が厚く、耳が大きく しかも賢者そのものの肖像画に魅了され手に入れ書斎に飾った。JICAに勤務し海外飛び回っている甥の話もあり、長い間機会があったらいつか訪れてみたいと「念」じていた。行く機会無いだろうと思っていたので、よもや突然の長男の案内は心底うれしかった。

 アンコール最盛期には遠く、ラオス、タイの一部にまでをも勢力化に置き、政治、経済、宗教の中心地であったアンコール。メコン川を遡り,トンレサップ湖を経て、水運活用の北限に立地のこの王国は、12世紀から13世紀仏教に篤い信仰をもった『ジャヤヴァルマン7世』に指導され最盛期になった。おそらく当時先進国だったのだろうと長男と語り乍らこの王国が何故に滅亡し、百数十年前に発見されるまで長く地上から忘れ去られたのか、旅行中、「夢想」の霧の中の状態だった。

 事実、旅行後アンコール王朝史に詳しい上智大学石澤良昭先生の著書を読むと1000年頃の時代の世界の人口は2.5億人で最大都市1位がスペイン・コルドバの45万人、アンコール都城は約20万人で4位だったという。更に140年後の最盛期には50万人だったという。

 アンコールのあるシェムリアップの町を歩き、何十年前かにタイムスリップの錯覚を覚え 目を見開いた。全部ではないが いまだはだしで歩く少年少女,暑い乾期のこの季節、素っ裸になり川で水遊びにふける少年たち、そこには数十年前の日本の田舎の姿があった。

 アンコールワットより更に20キロ程離れた郊外のヒンズー寺院を訪れた時、暑い日中大きな木の下でベンチに腰掛け熱心に英語を勉強する利口そうな青年に会った。質問したら、大学に進んで「化学」を勉強したいと語ってくれた。そこにも冷房も無く木陰を利用し、まじめに取り組む何十年か前の日本の青年の姿がダブって見えた。

 旅行後「巨大地震」が発生した。

突然の災害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。
人生の癒しの里、少年時代の思い出の土地、自分のふるさとを「津波」で流された人達にかける『言葉』がない。言葉の無力、反対に、言葉の重みを覚える。一瞬にして何十年前に戻ったようだ。永年積み上げてきた努力が一瞬にして崩壊した。カンボジアで見たタイムスリップでない。現実である。今の現実を生きてゆかねばならない被災者の人達。余震の中での復旧作業に励む自衛隊、行政、NPOの人達。海外からの支援団体の人達。今はそれどころでないと思うのだが、20年ー30年先の都市造りを提言する知識人、マスコミの人達。

 大震災直後の東北の太平洋沿岸地域の人々の取られた行動は、日本人全体に対し,海外メデイアの目に、その規律性、秩序性を賛美するという反響を呼んだ。並んで援助物資を受け取る行列の姿、誰にも文句を言わず,天命を甘受するような、何か宗教的で、ストイックなものをその映像から受ける。筆者は、このストイックな姿に、復興に対する、底知れぬ東北人のエネルギーを感じている。どこかの知事が「天罰」と言う不謹慎な言葉を吐いた。アメリカナイズの物質主義への警鐘を言いたかったのだろう。関東大震災時にも「天譴論」が流行った。当時の大戦景気による成金、悪徳商人や下らぬ政争の政治家に対する鉄槌が下ったと言うことだった。その点は現在も同じ状況である。

 このブログで2008・12・26に書いた。被災地域の東北宮城・登米に国指定の重要文化財登米高等尋常小学校』がある。この教室(被害が無かったかどうか案じているが)に掛けてあった『自力更生』と言う四文字の言葉の額(ガク)。筆者はこの額を見て驚いた。少年時代筆者の生家にも掛けてあった。おそらくこの地域の人々はこの四文字の言葉が明治時代に学んだ曾祖父、祖父の祖先から代々子孫に受け継いで来ている「血」と言うか「DNA」ではないだろうか。着実に自力で人生・仕事を切り開く人達。古くは盛岡で生まれた新渡戸稲造の祖父新渡戸伝の三本木原野開墾の悪戦苦闘の歴史がある。それだけにストイックな姿に写るのだろうか。それだけにこの地域の大震災はいたましい。復興にはこの言葉に加え政治がより目線を低くし、丸無げでなく細かく生活を支援していくに尽きる。今はただ、被災避難の人達への物心両面の心配りだろう。支援がブームでなく10年20年の息の長い支援になりそうだ。この支援を通じ、日本が歩んできた暮らしぶりを見直し、弱肉強食の市場経済の弊害をきっぱり否定し、雑に流してきたこれまでを1回ここで見直すことはこの災難を乗り越えていく「底力・エネルギー」になるのかもしれない。『自力更生』の言葉、改めてかみ締めたい。