筑摩書房「検察の正義」郷原信郎著(2009・9刊)を読む。

 今日の日本の抱える問題は「国家財政の破綻危惧」「雇用、格差問題」「少子高齢社会に向かう安心した社会保障のあり方」「教育のあり方」」「公務員制度並びに地方自治改革」などここ数年来懸念されてきた問題が一気に吹き出た感じだ。これらの重大問題に加え、日本の正義を守る「司法」の世界まで先の大阪地検特捜部による「厚労省郵便不正事件の証拠改竄問題」で露呈した。

 日本の検察にかかわる問題はこれまで多くの著書で疑問に思っていた。今回の「特捜検事の証拠改竄事件」はようやく表面化したか、という印象だ。
 検事の作成した調書に沿って被疑者が犯人に仕立てられていく状況は公認会計士細野祐二著「公認会計士VS特捜検察」(2007・11刊)に生々しく描かれている。シナリオに沿い40回以上もの公判リハーサルは読みながら小学生の頃の「学芸会」の練習を思い出した。学芸会でも40回のリハーサルはしない。「国策捜査」という言葉で有名になった、日ソ領土問題を外務省の一事務官で取り組んだ佐藤優著の「国家の罠」、更には元特捜検事の田中森一著「反転ー闇社会の守護神と呼ばれて」(2007・6刊)等には今回問題となっている検察の問題を予感させるものがある。何年か前TBSの番組で取上げる寸前で逮捕された「大阪高検公安部長の口封じ逮捕」といわれる事件もあった。

 司法の世界で何が「正義」なのか、を考える時、4・5年前から一人の「元検事」の意見、考え方に関心を持っている。その人の名は「郷原信郎氏」。今月11月はじめ「検察のあり方検討会議」の委員に選ばれた。

 特捜の検事には ①祖父、父親が元司法の世界で名を残したいわば毛並みのいいサラブレット検事。②東大法学部出身という現代の法曹エリート閥の検事.③地方大学出身のたたき上げのやり手の荒武者な検事の3類型があると以前読了した著書にあった。
この「郷原氏」は「コンプライアンス」「法令順守は日本を滅ぼす」「思考停止社会」など元検事らしからぬ著書を書いているので筆者は興味を持って今日に至っているが。

 経歴を概括すると元々最初から検事になろうとしたのでなく法律とは遠い東大理学部卒業、一時鉱山地質技師として鉱山会社に入社したという。このようなタイプの人間に限っていい仕事をし、人を納得させる何かを持っているようだ。1年余後に鉱山会社を退職し、独学で司法試験に挑戦、合格、当初は弁護士志望であったが、若い理系出身の検事が少ないということで(この点著書のまま)意に反し検事に任官となり、東京地検公安部、特捜部、広島地検で仕事、又 公取委事務局、法務省法務総合研究所独禁法違反の研究、犯罪白書の執筆、経済犯罪に対する制裁制度の研究に没頭した。検事の本流を歩いたようでそうでもないような印象をもつ。最後は長崎地検次席検事として時の政府与党自民党長崎県連幹事長を公職選挙法違反で逮捕、起訴する実績をあげる。これから類推すると上記3類型の②と③の間であろうか。

 本書を読み ここ数年頭の中でうやむやになっていた経済事件の整理がついた。(1).長銀事件最高裁逆転無罪判決。(2).キャッツ事件(粉飾決算公認会計士が関与したとされる事件)(3).ライブドア事件 (4).村上ファンド事件。

 筆者はこれらについて、(2)については先に述べた著書を読みこのようなことが実際行われているのかと驚愕したものである。(3)については不透明な判決のためその後のベンチャー企業家の活力の後退、又 (4)については、インサイダー取引の成立範囲を拡大させることで漠然とした印象を一般投資家に与え 関与しない方が安心という風潮を生み、むしろ投資活動の低調という大きな経済的影響を生じさせたのだと考えている。
 著者郷原氏はこれらの特捜検察のとった行動は「社会や経済の複雑化、多様化に検察の判断が十分に対応できていない。」と述べている。
 著者は本書の中で語る。少々長いが、引用する。(本書P156)

 『「検察の正義」をめぐる最大の問題は、検察が社会から注目を集めその存在意義を認められることに関して、大きな役割を果たしてきた特捜検察が、社会、経済、政治の環境変化に対応できず重大な危機に晒されていることである。
 元々社会の外縁部で社会からの逸脱者、異端者を排除する役割を果たしてきた刑事司法の中にあって,政界捜査、大型経済犯罪など社会の中心部に直接係わる事件の摘発を役割としてきた特捜検察は、本来の検察の業務の性格からすると特殊な存在であった。それが社会に違和感無く受け入れられ、しかも「検察の正義」の中心のように位置づけられてきたことは歴史的背景があった。1つは造船疑獄の指揮権発動が国民の多くに「政治の圧力」が「検察の正義」を阻んだ事例として認識され それ以降検察の正義は政治が介入してはならない「神聖不可侵」のように取り扱われる原因となった。
2つ目はロッキード事件。巨悪と対決する「日本最強の捜査機関」として特捜検察のイメージを完全に定着させた。

この歴史上の2つの事件が刑事司法全体において検察が正義を独占していること以上に、特捜の「正義」を神格化し、絶対不可侵のもののようにとらえる原因となった。』
更に続けて書いているが、この続きは本書を一読されたし。

 その後、驚くべきことに「指揮権発動」40年後当時の刑事局長が、行詰まった検察が撤退のため時の総理に持ちかけた「策略」との告白の事実があったということを著者は本書で書いている。その他の当時の証言もある。今日では真実を知らされていない一般の国民だけが「指揮権発動は悪」だとの「単純な常識」になっている。
 著者は法務大臣指揮権の行使について、『何らかの民主的意見の反映または、専門的見地からの検証を行うシステムの構築をし、高度の守秘義務を負う諮問機関が出した結論を尊重して法務大臣が最終的に指揮権を発動する枠組み』を提案している。タブーとする思考停止をせず、大いに議論することは筆者も大賛成だ。

 先に挙げた2つの遺産が特捜の直面のさまざまな問題の根本原因になっているように見える。特捜部の看板の威力で被疑者、関係者を押しつぶし、屈服させるやり方、政治家をやっつける「悪党退治的やり方」を経済事件に持ち込むやり方は所詮無理が来て、最終的にはわけのわからない判決となり、投資活動の停滞、若い有能なベンチャーリストの海外逃避になっているようだ。これでは若い経営者の活力をそぎ、経済成長する訳が無い。長銀事件は結局無罪となった。何が何でも有罪にしないとメンツが立たない状況が「証拠改竄事件」となり直前まで真面目に仕事に取り組んでいた人間がある日突然「被疑者」「犯人」となる。それを疑わないで報じるマスコミもマスコミだが。(たまに、ある記事について5年くらいの新聞を整理してみると、同じ新聞社で当初の記事が見事に違う記事になっていることがわかる。)それにしても証拠改竄までして犯人に仕立てられる国民は民主主義国家の国民なのだろうか。