日経BP社「インド厄介な経済大国」エドワード・ルース著・田口未和訳(2008・8刊)

 1960年代に在インド米国大使だったJ・Kガルブレイスがインドのことを「機能的・無政府状態」と表現した。それから50年経ているから少なくとも「無政府状態」からは進展しているのではと考えられるが4000万人もの未就学児童の存在、コングレス党(国民会議派)あるいはインド人民党(BJP)による連立政権が少数政党や地域政党など20以上もの政党での構成を考えるとまだの状況かも知れない。2009年5月発足の現在の第2次シン政権は11党の連立である。

 本書を読みながらITで発展のインド南部に対し、いまだ貧困の多いインド北部との経済格差、3000年の歴史を持つヒンドー文化を踏まえ、カースト制の下でのヒンズー過激分子教徒とムスリム教徒との間の残虐な抗争、更にはシーク教キリスト教、仏教、ジャイナ教,はてはゾロアスター教などを含む宗教と21世紀型テクノロジーがミスマッチしているようで、しかも両立させながら特異な大国への経済発展をしている姿に、単一民族にはない凄みさえ本書から感じとった。

 今日、暴走した資本主義にどう制約をかけるか米国、EUを中心に潮流が変化している。むしろ国内雇用を重視した民族自立の流れが出始めているようだが、グローバル経済に組み込まれ消費文化を謳歌しているインドが「精神の輸出国の磁場」の立場と「資本主義」の立場をどう折り合いをつけ将来調和させていくか、興味は果てしなく大きい。

 本書の著者は英紙の現役のジャーナリストである。経済だけでなく、政治、外交、宗教、社会、歴史など1990年以降のインドの現状を物語的に纏め上げ、将来への問題意識を、読者に拡げてくれる良書である。

その中で何点か印象に残った部分を取上げ本書の紹介としたい。

 インドの政治は現在コングレス党(国民会議派)中心の連立政権であるが1998年から2004年はインド人民党(BJP:バラテイヤ・ジャナタ党)が連立政権を率いた。この政党の母体はヒンドー至上主義の民族奉仕団といわれる「RSS」(ラシュトリヤ・スワセムセヴァック・サン)である。ヨーロッパのファシズムを模範として1925年科学分野の知識人がリーダーとなり創設した。85年の歴史を持つ。
 ガンジーの非暴力主義という女性的運動に反対し、ヒンドーの男性化を求め、イスラムや西洋の男性社会に勝利するのを目標に、「シャーカー」という支部では毎日100万人の若者が武術訓練と思想教育を行っているという。1998年核実験強行、弾道ミサイル開発など軍備の拡充をその政権時代におこなった。ガンジー暗殺犯はこのグループ出身であった。 このRSSの初代代表は開業医、2代目以降は動物学者、弁護士、物理学者、と続き5代目はエンジニアという。しかしこの代表は「サンサングチャラク」といい指南役、助言者に徹底し個人崇拝は否定している禁欲的集団という。メンバーは上位カーストが多いようであるがインド下院国会議員545人中この20年間で2人から138人に増加、1998年の政権獲得時は一時183人に増えた。2009年は116人まで減少した。
 一般の日本人から見るとガンジー、ネールと、「中村屋のボース」(中島岳志著)で有名なラース・ビハリー・ボース、に代表される比較的温和な国民性の印象が強かったがインドもこの50年大きな変化をしてきている、と改めて感じ入った。

 著者によるとインド経済は通常の経済発展と著しく異なった経路の発展であるという。農業から出発しー>製造業ー>高い付加価値商品の強化ー>国際競争力あるサービス業の発達が通常の発展段階であるのに対し現在のインドはその逆をおこなって来た。インド統計を疑うわけではないが2006年のインド経済はソフト開発などのサービス50%、農業25%、工業25%という。
 ITソフトウエアのサービス産業が成長した背景にネルー時代の教育政策が大きく起因しているという。教育では農村住民への初等教育の実施よりむしろ数学、英語教育などの高等教育に力をいれ、この結果が今日IT産業や製薬業、バイオテクノロジー産業が成長していることになっている。反面 初等教育は軽視され、その結果識字率は65%となり(中国は90%) 分厚い貧困層の極度の社会的経済的格差を生じさせている。ネルーやインデイラのとった教育政策、労働政策に著者は厳しい批判をしている。

 インドの人口約10億人内15%1億5000万人がムスリムである。先に述べたヒンドー至上主義政党の台頭によりヒンドー教徒とムスリム教徒との間の虐殺、抗争事件は1992年のムスリム教徒3000人の虐殺(ウッタルブラデ州)更にはBJP政権時の2002年には経済の自由化から大きな恩恵を受け、生活水準も国内上位、インドでもっともグローバル化が進み、シリコンバレーでソフトウエアの起業家を多く出しているグジャラート州で大暴動と虐殺が起きたという。しかも当局は見て見ぬふりだったと著者は憤りを持って書いている。
 又、パンジャップ、アッサム、カシミールでの分離主義運動も激しい。ネールの出身地 カシミールでは1947,1965,1971、1999と4度の戦争が起きている。根底にあるのはムスリムとヒンズーの争いである。

 本書は2008年の出版であるが今日のインドはNHKニューデリー支局長の2010年9月のラジオレポートによるとGDPは今年8.5%の成長率という。中間層の消費に加え富裕層の消費は昨年の2倍という。ショッピングモールの建設が進み、400万円から1600万円の高級自動車の販売も多いという。消費意欲が強く物価インフレの懸念があり今年5回目の金利引き上げが予想されているという。

 イギリス支配時代のインド・ベンガル生まれで、1998年のノーベル経済学賞を受賞したアマルテイア・セン教授。
 教授は貧困、不平等、飢餓の問題に強い関心を持ち、「開発問題」をGNPや工業化の進展等で測るいはゆる「経済発展」として見る見方を否定した。スウエーデン科学アカデミーは受賞の理由に『重要な経済問題の議論に倫理的な次元を復活させた』ことを指摘した。1998年はインドで「BJP」が連立政権を樹立した年。それから10年あまり、セン教授はグローバル経済に組み込まれた消費文化の現代のインドをどう見ているか。本書を読みながら新しく興味は尽きない。