「ミネルヴァ書房」の「シリーズ自伝」出版に思う。

 民主党鳩山「孫」の政権が終了した。素人の筆者から見ても昨年12月末に歴代の自民党前政権で漸(ようや)く纏まった沖縄辺野古の問題を本年5月末迄に結論を出す、と発言した時に「本当に出来るのか」と疑問に思った。
 祖父のDNAを受継ぎクーデンホーフ・カレルギーの「友愛」を掲げ理想高い哲学を持った政治家が漸く現れた、と評したが「泥んこ」の中でしぶとく泥にまみれながら戦う政治家からは程遠かったようだ。しかしこれまでの米国一辺倒の外交より 少なくとも距離を置こうとする姿勢、および沖縄基地問題は日本全体の問題だと国民に意識づけた点は評価できよう。

「・・の孫」といわれる総理が何代も続いた。思ったほど偉大ではなかった。辞任した人物を批判するのは簡単だが選んだ側の議員の責任もあるし、それを選んだ国民にも問題がある。
 昔から日本人は「弁護士」「会計士」等の「士」に弱く「士業の肩書」あるいは「名家の出自」の前に考える力を失い、逆に妙に尊敬する気質がややもすると残っている。特に地方ではそうだろう。
2代目、3代目の世襲はその盲点で国民に選ばれている。

「人物を見抜く判断」は神でもない限り難しい。企業でも「上役」にそういう目を持った人物が少なくなった時代である。社員を育てるより、即戦力を求める余裕のない時代である。「あの会社は出世するにしたがってより小粒の人が出世していく。」と世間から云々された金融機関が最後は倒産した事例もある。このブログ「後藤新平」で書いた。新平を見抜いた上役は明治維新で敵方の人物であったと。

 こういう時代 学術専門出版の「ミネルヴァ書房」が「シリーズ自伝」の刊行を始めた、とある書評欄で読んだ。自伝というとこれまでは政治家、実業家の成功談、苦労談が多かったが 今回の企画は、人文科学、社会科学、自然科学の学者が自らの人生と学問の軌跡を学問を志した動機、研究の過程を後世の若手に広く知らしめることをシリーズで行うことは本物の人物を探究するに時宜を得た良い企画と思った。

 このような「人物研究」の積み重ねが学者の分野に限らず「本物の人物を見抜く」良い文献となり社会の指導者を選んでゆく国民の参考文献になることを願っている。