文芸春秋「茜色の空ー小説大平正芳」辻井喬著(2010・3刊)を読む

 大平正芳という政治家に関心を持った時期があった。官僚出身でありながら官僚出身を感じさせず、同じ官僚出身の福田赳夫の才子の風貌に対し,茫洋、鈍重とした雰囲気を持った政治家であったが、自民党の40日抗争その後の総理としての過密な外遊等が重なり選挙中に倒れ急逝した政治家である。
 今年は大平正芳生誕100年という。1910年(明治43年)四国香川の中農の家に生まれ、高松高商より東京商科大学一橋大学)に進んだ。高松高商の頃洗礼を受けキリスト教徒となった。
 1929年世界恐慌、1930年昭和恐慌、1931年満州事変、1932年5・15事件、1936年2・26事件.と社会不安の続くこの時代1936年(昭和11年)4月大蔵省に入省した。戦前は税務畑で仕事、興亜院で大陸経営にもあたった。戦後の昭和24年池田大蔵大臣の秘書官、1952年(昭和27年)「自由党」公認で衆議院議員となった。1978年第68代内閣総理大臣。1980年急逝。

 鳩山民主党政権が出来て約半年。全否定でないものの自民党政権の検証が行われている。戦後の政治史において日本の基礎を造った吉田自由党 鳩山日本民主党の理念と烏合離散は今日の「新党騒ぎ」と重ねて本書を読むと5・60年たった今も失礼ながら何らかの理屈をつけながら同じようなことをやっているように見受けられる。政党間の競争関係が成立していないから、政治家の水準は個人の利益が中心となり低い方へ流れがちになる。昨日まで「郵政問題」で反対同士が一緒になったり、自民党末期は先祖の七光りで2世・3世の議員をほぼ全員一致で総理に選んでおきながら1年後引き摺り下ろしたりする。「この人はすごい」という「志」の高い「男の鏡」となる政治家の出現が待たれる。その意味では「大平正芳」は何か魅力のあるものを持っていた。

それより以上に「民主主義とは」と改めて思う。
総理になった際に「財政問題」と共に掲げた3目標の1つに「社会の深部にまで民主主義を浸透させること」を目標に掲げた。ポピュリズムの政治家の出現でヒットラーのような権力をほしいままにする事態にならないようにする為にである。それから30年余り民主主義は進化しているか。
 大平外務大臣から約10年後の1972年「密約事件」が起きる。(2009年10月・11月ブログー山崎豊子著「運命の人」)
30数年後の今日、アメリカ公文書館から出された「公開文書」の分析・研究で日本でもようやくこれまでかたくなに否定していた「密約」の存在が、当時の責任者の相次ぐ証言で確認された。更に今月9日には研究者・ジャーナリストらによる「密約文書の公開訴訟」で東京地裁は全面開示を外務省に命じた。これまでの司法の密約の判断の回避のスタンスより「知る権利側」に180度大転換した。政権交代が行われると「司法」の判断もまた180度変わるのか。「司法の正義は?」

「国にとり将来にわたって影響を与える密約問題(目の前の国家の犯罪)と取材方法の倫理問題(女性スキャンダル)を区別できなかった民主主義の未熟さ」。おかしなことは何十年後に真実となって現れる。「民主主義の進化」を願いたい。