集英社新書「ブッダはなぜ 子を捨てたか」山折哲雄著(2006・7刊)を読んで。

 グローバリゼーション化が進むに従い 宗教をテーマに取り上げた書物を読むようになった。激しい競争社会は一方で宗教に対する心が要求されるのではないか。宗教のない処=絶対ということはなくなる.「あくなき欲望の追求と自由のマヒ」。「アングロサクソン」によって形成された西洋社会の原理に右習いするように「日本の思想が吸収されていいのか」という問題意識や 「国際結婚」が企業のグローバルな経済活動の結果多くなり 完全なまででなくとも自国の宗教への理解はもちろん 他宗教への理解が今後避けてはいけなくなるだろうと考えたからである。日本が東アジア・中央アジアイスラム諸国とともに発展を考えた場合も然りである。

 「西洋の哲学・東洋の思想」(小坂国継著・2008・講談社)という本がある。西洋と東洋のものの考え方や思惟様式の根本的差異を分析整理し 哲学の動機 自然観、人間観、歴史観、価値観の違いを考察している。

「東洋の思想」を考えたとき その中で「空」の思想というわかったようでわからない「般若心経」に少しでも近づこうとこのところ「広く仏教にかかわる書物」を読書の範疇に少しずつ入れている。仏教に門外漢の筆者が書棚を振り返るとき現役時代に読んだ本に「心の持ち方」についての著書が意外に多いのに驚いた。「40歳からの般若心経」「武蔵の五輪書探究」「法華経を生きる」「歎異抄」などなどである。

 若い時に読んだ柳生新陰流の兵伝書の中に
「心こそ 心迷わす 心なれ 心に心 心許すな」という歌がある。
 解説本によると「心(妄心)こそ心(本心)迷わす心(妄心)なれ、心(妄心)に心(本心)、心(本心)ゆるすな。」とある。 意味するところは「道理をわきまえて しっかりした自分の本心を確立した原則を持っていないと 邪心(妄心・私心)に本心が侵され誤った判断を行い 間違った道を歩む。又別の解説もあるかもしれない。 それほど普段よりの「心」の鍛錬を厳しく戒めた言葉と思う。

 本書「ブッダはなぜ子を捨てたか」は宗教思想家山折先生の深い思索の過程が一行一行迫ってくる「文章の塊」であった。

 ヒンズー教徒には「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という「四住期」の思想があり人生のローテーションに人生を見つめる宗教生活の時期を組んでいるという。(日本人のための宗教原論・小室直樹徳間書店

 2500年前に生まれた仏教が中国、朝鮮に渡り土着化の過程で儒教道教の要素を取り入れ 日本列島へは神道山岳信仰と結びついて独自の仏教となったことは改めていうまでもないが 本書を読みなるほどと深く頷いたことを以下に書いてみたい。
 ブッダの歩んだ 子を捨て 妻を捨て 家を捨て 共同社会を捨て 最終的に自己を捨て 聖人の道を求め 「無我」を追求したインド仏教に対し日本の仏教は「心の探究」が第一の心得だった。つまり「我」の否定などという普通の人に出来そうもないことに深入りすることを自然に避け「我」の否定よりはるかに「心の浄化」という課題のほうに 重大な関心を日本の仏教者は選びインド的な「聖者の道とは別の生き方を選択した。
 心は訓練により浄化され成熟する。心は変化する。油断すれば悪魔の心にもなる.手綱を引き締めることで「悟」の境地にもなる。と。(本書)
先に挙げた「兵伝書」に「心の鍛錬」を感じる。
 最澄に「道を求める心(道心)、空海に「十住心」明恵に「菩提心(求道心)」親鸞に「信心」道元に「身心脱落」。いずれも「心」を探求した。
「求道心」という言葉がある。「経営道」「経営者道」「商人道」。
就いた職業にプロを目指して愚直に努力する、昔風の表現は「修業する」。

 若い人の犯罪が多い。事件後若い高校時代の写真が載るが「この精悍で利口そうな高校生がなんと言う取り返しのつかないことをやるのか、と思い 考えによってはより立派な人生を送れたものを・・・と思うとなんともいえない気分になる。

 有名な高杉晋作の辞世の句に 「おもしろき こともなき世に(を) おもしろく すみなすものは 心なりけり」とある。心の持ちよう如何であるが このところの心の荒廃は激しい。

 本書の後半では現代のブッダに触れている。

 単身インドに渡り仏教の伝道を101歳まで取り組んだ藤井日達 またカースト制度に反対しヒンズー教より仏教徒に集団改宗させた独立後のネール時代の初代法務大臣アンベートカルに触れ 集団改宗後の「新仏教徒」がヒンズー教カースト社会の体内に取り込まれしかも更に最下層になった1000万人の「新仏教徒」のこれからに言及している箇所は インド社会が今後の経済成長をしていく中で 国民の精神生活がどのように変化するか興味深いテーマである。

 それにしても全部ではないが 日本社会は地道に努力する あるいは努力しようとする人間を遇しないで 短期に利用するだけ利用し 後はどうでもいいという全く劣化した社会になった。派遣社員契約社員だけかと思いきや最近は 政治家にまで見られる。人気ある者をわざわざ赴いてまで広告塔に公認しようとする一方、地道に政治活動をやっている議員の非公認。
いずれが「本心」で いずれが「妄心」か。

 6月16日 真言宗の総本山高野山金剛寺空海の誕生を祝う『宗祖降誕会に」に天台座主が1200年ぶりに参拝する報道があった。
山折先生がWEBでコメントしている。「戦後の心の荒廃や教育の衰退が問題になる中精神的基盤が見直されるようになるだろう。」と。そうあってほしい。