読書のマイヒストリー:「クーデンホーフ・カレルギー全集(1970−1971)・鹿島出版会」(2009・9・27)

 30歳前後に印象に残し長い間忘却の彼方にあった政治家(むしろ思想家)の名前を複雑な心理状態で今思いおこしている。
「リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー」(リヒャルト・ニコラウス・栄次郎・クーデンホーフ・カレルギー=1894〜1972)
 オーストリア・ハンガリー帝国の駐日外交官と日本人女性青山光子との間に生まれ「汎ヨーロッパ主義」を提唱、欧州連合の先駆となり「EUの父」とよばれた政治家である。映画「カサ・ブランカ」がカレルギーを主人公とする映画である事を初めて知った。

 1970年代鹿島守之助という鹿島建設の当時の会長が「鹿島出版会」から出した「クーデンホーフ・カレルギー全集」。筆者が就職しながらも今で言う「自分探し」の時代に出会った本である。読破にはいたらなかったが、その後の筆者の職業人生より遠く離れていった。

 この政治家のバックボーンの哲学が「フラタナテイ」という言葉であり、日本語の翻訳で「友愛」ということも新首相の祖父による翻訳ということも初めて知った。
「友愛」というと何か弱弱しく女々(めめ)しく響く。事実新首相が野党時代の「党首討論」の際にこの言葉を発声したとき 自民党の出席議員席から嘲笑とも冷笑ともとれる一種ざわついた空気になったことがある。新首相は抑えて静かに「その内 皆さんこの言葉をよく耳にするでしょう」という意味の発言をしたように筆者の記憶にある。

 だが「友愛」というこの弱弱しい「言葉」の根底には これまでの新自由主義に見られた弱肉強食の自由の暴走を引き起こした自由の概念、その結果格差、派遣労働に見られる社会的不平等、その不平等の社会を是正する暴力的闘争の出現。これらを回避するため 人間を大切にし相互扶助で自立と共生の社会の基盤を造る「強靭な精神の哲学」をこの「友愛」の言葉に共鳴するのである。鳩山氏は「戦闘的概念」と語っている。

 この「友愛」理念は100年以上前に生まれた人により80余年前に唱えられた「思想」である。現在の日本社会は格差が激しくなり、3・4年前「平等」を追求した200年前のフランスの歴史学者「アレクシス・ド・トクヴィル」が再評価されたりもした。

 筆者はこの関連のテーマとして 6・29のブログ「ブッダはなぜ子を捨てたか」の中で「激しい競争社会は一方で宗教に対する心」が要求されるのではないか、「宗教のない処=絶対ということはなくなりあくなき欲望の追求と自由のマヒ」と述べた。この「自由のマヒ」を生じさせない理念が筆者はこの「友愛」というなにやら弱弱しいがしかし「芯の強い理念」ではないかと考え始めている。もっとも「信仰」であったり「道徳」であったりあるいは「正義」であったり「個人を律する宗教性の高い理念」に近いものである。その意味で冒頭の「複雑な心理状態にある」と述べたのである。

 グローバル化の経済は必然的に競争力のない地域を荒廃させたり個人をも荒廃させたりする。いろいろの若い人の犯罪が生じた。

「個」が家庭を築き 地域のコミュニテイを造り 国を造るという「個の自立と共生の社会の建設」が普通の国民の求めるあたりまえの社会である。「友愛」の政策は今後これから見えてくるであろうが政策的表現の1つとして「地方分権地域主権国家」の実現を目標としている。カレルギーの思想では「連邦組織」が述べられている。これまでの政治とは大きく変わるであろうし価値観が大きく変わろう。
「カレルギー」思想については筆者はこれから何十年ぶりに勉強しようと考えている。派遣社員で 適齢期になっても家庭を築けない社会、つまり労働力が維持再生産できない社会はやはり「イビツ」な社会である。
 高度成長時代以来「日本生産性本部」という組織がある.現在は影が薄れているが この「日本生産性本部」は「キリスト教」との思想を底流に持っているという事に触れた事がある。現在のように 労働者を自社の利益のみのために派遣労働 契約社員として手段として働かせなかったのである。

 このカレルギーに感銘を受けた日本の政治家が新首相の祖父であり今度の総選挙で野党になった自民党を創立した政治家である。祖父の創った政党に離縁状を出し十数年野党で耐えた。これからの「友愛社会」への長い道程を考えるとまだまだこれからだから称讃するわけではないが 生き様(ザマ)として感服する。(いまだ与党ボケで離れられない議員もいるのだから。)したがって新首相には変な美学を持たず泥まみれで大奮闘願いたい。

 前に筆者は歴史上の人物を考える場合本人が先祖より受け継いだDNAなり子孫に関心があると述べた(ブログー後藤新平の中で)。後藤新平安政4年(1857)生まれ、日本女子大創業者成瀬仁蔵安政5年(1858)生まれ。この同じ幕末の時代に新首相の曽祖父鳩山和夫安政3年(1856)岡山・美作勝山藩士の家に生まれた。 明治4年藩の貢進生として上京し大学南校(東京帝国大学)に入り「九鬼・天心」のブログで述べた改革後の留学生第1号に小村寿太郎とともに選ばれエール大学に入り29歳で外務官僚となった。その後 衆議院議長  第3代東京専門学校(早稲田大学前身)校長となった(早稲田大学80年史)。その子孫であることは周知の通りである。
 クーデンホーフ・カレルギーの思想に感銘を受けた祖父の「友愛」思想を受け継ぎ難関かつ、抵抗のある「東アジア共同体」「アジア共通通貨」の構想まで発表した事にプレスリーの真似を映像に流した元総理と比較し 日本にも哲学のある総理が現れたと思ったのは時期尚早の称讃か。 静かに応援するとともに 筆者達の世代が 次の世代に何を残し繋げるかを自問している。