学陽書房「小説上杉鷹山(上・下)」童門冬二著1992・5刊

 「なせば成る、為さねばならぬ何事も、為さぬはひとのなさぬなりけり」という上杉鷹山で有名な「米沢」という会津に近い風土を思い出し、早速かねて読んだ上記歴史小説、と同じ「鷹山」を取り上げた「漆の実のみのる国(上・下)(藤沢周平著)を、さらに2代目藩主「直江山城守兼続」を取り上げ以前NHK大河ドラマとして放映された「天地人(上・下)」(火坂雅志著)を一気に読み返した。
静かに読むといずれも味わい深い。あらすじは省略するが、上杉謙信が生きた16世紀(謙信は1578年49歳で没)直江兼続が生きた16・17世紀(兼続は1616年59歳で没)上杉鷹山は1823年72歳で没する18・19世紀に生きた。16世紀から21世紀のおよそ600年、その歴史に耐えた風土のもつ考えがそれなりに今日に伝わっているのではと考えている。
 
「風土の持つ考え」と表現したが、ある研究者によると、世界各国で創業以来200年を超える企業数は、日本は3937社で第1位、2位のドイツは1850社、1位、2位で倍の開きがある。ドイツが老舗が多いことはなんとなくわかる。そして日本国内で老舗出現率の高い町上位10位は静岡の元駿府城城下町が3位に入っているのを除くとすべて新潟、山形、長野、金沢、福島の寒い風土に耐えた地域である。
 その中に米沢も丁度10番目に入っている。現役第1線で活躍中のベンチャーキャピタリストが教えてくれた。フランスには「エノキアン協会」という団体があり日本からは5社加盟中という。条件は200年以上の歴史をもち、かつ、創立者が明確で現在も同族に経営権があり、かつ健全な経営を今日なお継続していることという。この5社には米沢の老舗は入っていないがこの地域が日本で10位の老舗出現を出していることは驚きに値する。

上杉謙信の後継者上杉景勝に仕えた直江兼続が、豊臣の時代に100万石以上の3大大名の一人の上杉家において、主君とともに会津に移封されたのが1598年、当時の石高は120万石、徳川幕府になり30万石に、その後さらに15万石に減封された。米沢は今でいう破産状態寸前であった。そこから謙信から10代目、兼続から9代目の上杉鷹山という名君を中心に、「興譲館」という身分に関係ない学問教習所をつくり、子女を教育し、農業だけでない 産業振興、経済の発展を模索した。一つ一つの工夫智慧のDNAがこの地に残っているからこそ、10位の老舗出現率が物語るのではと、興味深い。会社を継続させることは簡単ではない。しかも200年である。2000年から遡ること200年,丁度鷹山50歳あたりに起業した老舗が200年の歴史を刻んだことになる。どのような家訓を子孫に伝えたのであろうか。意外や、単純で愚直なことかもしれない。しかし本質をついているのかもしれない。聴くところによると現在では山形大学工学部がこの地にあり、新産業の研究に取り組んでいるという。守勢にならず、切り拓く姿勢がどの時代、どんな環境に置かれても大切と考える。(了)